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池波正太郎と名寄岩

 名寄岩を題材に選んだのは、池波正太郎自身だった。作家の村上元三は、文藝春秋誌上で「…病妻に先立たれ、どん底まで落ちてから再起した名寄岩を新国劇の芝居に書きたいと池波正太郎君が言ってきたので、紹介をした。」と述べている(「さよなら名寄岩」村上元三 文藝春秋 昭和46年4月号)。
 池波は、名寄岩本人に直接取材を行い、書き上げた自身の戯曲の冒頭に、あのサン・テグジュペリの詩を加えたのである。また、「名寄岩」は、はじめて自ら演出をした作品でもあった。「血気盛んな池波の舞台演出は大看板の島田や辰巳を向こうに回して一歩も退かず、おたがいシノギを削るつばぜり合いを演じた。」という(『直木賞受賞まで』大村彦次郎「池波正太郎の世界展」)。池波は、あの詩に、演出上の何らかの必要性(=名寄岩の本質)を感じていたのである。
 ところで、池波は、先輩作家である長谷川伸に師事した。
 長谷川には、「もう誰もがだめだろうと思った危篤の状態から病室で目を覚ました時、まず、自分のいる場所を訊ね、すぐに、そこの来歴について書かれた本を自分の書斎から取ってくるよう家人に頼んだ」というエピソードが残るほど、まじめで学究肌の作家だった。長谷川伸の代表作の一つに「一本刀土俵入り」がある。相撲という題材を選んだのは、池波の長谷川に対するオマージュだったのではないだろか。
 池波正太郎と長谷川伸との初対面の模様は、池波自身の筆で残されている。

 はじめて、長谷川伸先生をたずねたのは、昭和二十三年の夏のさかりだったと思う。
 前年、私が、ある新聞社の戯曲懸賞に応募して入選した、そのときの選者のひとりが先生であった。それだけのことをたよりにして劇作の指導をうけたいと思い、紹介者もなく、手紙をさしあげたら、 …小生方のおたずねはいつでもよろしい。土曜でも日曜でも、そちらの仕事をさまたげぬことでありたい―という御手紙をいただいた。
…その日は、じりじり照りつける暑い日で、私は二本榎のお宅の前までくると気おくれがして門の中に入れず、何度も行ったり来たりして、しまいには小水がもりそうになってしまい、前の明治学院の便所へかけこみ、用を足し、水で顔を洗ってから、思いきって、門へ入って行った。奥さまが親切に対応して下さった。先生は、どこかの会合から帰られたところだったが、コチコチになっている私を見ると、「君。らくにし給え」 こう言われて、いきなり下帯ひとつになられた。それで、私もいくらか気がらくになり、いろいろと話しはじめたのである。
…このとき先生が言われた。
「作家になるという、この仕事はねえ、苦労の厳しさが肉体をそこなうし、おまけに精神がか細くなってしまうおそれが大きいんだが…男のやる仕事としては、かなりやり甲斐のある仕事だよ。もし、この道へはいって、このことをうたがうものは、成功を条件としているからなんで、好きな仕事をして成功しないものならば男一代の仕事ではないということだったら、世の中にどんな男の仕事があるだろうか、こういうことなんだね。ま、いっしょに勉強しようよ」 『新年の二つの別れ』池波正太郎 昭和52年6月30日 朝日新聞社刊

 初対面の長谷川に、このような言葉をかけられた池波の心境はどのようなものであっただろうか。

 池波は、不良の香りがする人物だったが、不良としての実生活を書かないという節度を守った作家でもあった。多くのエッセイは、差し障りのない食べ物や映画についての話題で占められており、その差し障りの無さが、現在、性別を超えて愛読されている理由でもある。彼のエッセイで取り上げられた飲食店は、「池波正太郎の通った店(味)」という、ラベルがつけられ人気を集めている。そのためのガイドブックすら売られている。彼の通ったという店に行ったり、江戸の古地図を買うのも池波の作品を愛し、理解することにつながるだろう。
 ガイドブックはないが、北海道名寄市を訪問することも池波という作家を理解することにつながるのではないだろうか。名寄市は、あの旭山動物園(北海道旭川市)から車で1時間30分ほどのところにある。彼の愛した目黒のとんかつ屋でそんなことを考えた。

戯曲「名寄岩」 池波正太郎

年表

昭和30年 32歳
 7月  目黒都税事務所を退職。
 11月 戯曲『名寄岩』を「大衆文藝」12月号に発表
昭和31年 33歳
 1月  『名寄岩』を明治座上演、初演出となる。[新国劇]
 4月  大阪歌舞伎座上演 [新国劇]
 6月  映画「名寄岩 涙の敢闘賞」(原作)全国日活系で公開
 11月 御園座上演 [新国劇]

あらすじ

 昭和25年春、日本中に戦後復興の槌音が響く中、元大関でありながら平幕の地位に甘んじる名寄岩は、病身の妻と幼子を抱え、自身も病気を患い苦悩していた。名寄岩は、病気でいうことをきかない自分の体にいらだっていた。自身の病気による成績不振。番付が下がることによる収入の減少。そして、成績の低迷は、むかしに1円のご祝儀をもらったごひいきにまで、毎場所番付をかかさず送る律儀な名寄岩の周りからひいき筋をも奪っていた。病床の妻のためヤミで入手するクスリ代は、名寄岩に重くのしかかっていた。相撲を引退するにも年寄り株を買う資力が名寄岩にはなかった。
 そんな時、名寄岩のもとに、戦前のひいき筋の一人だった日大総長の呉文炳が訪ねてくる。名寄岩から番付を毎場所受け取りその律儀さに感心していた呉は、名寄岩の苦境を知り、夫婦ともども日大病院に入院するよう薦め、夫婦の入院費用も快く負担する。夫婦で入院した名寄岩は、ともに病気とたたかう妻、家族、呉、日大病院の医療スタッフ、名寄岩を支える人々の力を借りて、病気を克服、土俵復帰をはたし、見事敢闘賞を受賞する。夫の復活を確かめた妻は、安心をしたかのように息をひきとる。

映画「名寄岩 涙の敢闘賞」

昭和31年6月7日 日活系公開
監督 小杉勇 原作 池波正太郎
出演 名寄岩 山根寿子 滝沢修 高田敏江 織田政雄 沢村国太郎 芦川いづみ 菅井一郎 元横綱双葉山 元横綱羽黒山 横綱吉葉山 立浪一門出演
文部省選定・優秀映画鑑賞会推薦

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