サイト内検索

濤声 釣遊随筆

中村武羅夫

釣の随筆

 昔から小咄に、或る人が画家に向って、馬鹿を描いてくれと言ったら、釣りをしている人間の繪を描いてくれた。もう一層の馬鹿を描いてくれと頼んだら、今度は釣りをしているところを見ている人間の繪を描いてくれたというのがある。
 実際、釣りを理解しない人から見たら、いつ釣れるかも分らない―第一そこに、果して魚がいるやら、いないやら分らない広い河や海の中に、たった一筋の糸を垂れて、それこそ大海の一粟にも等しい微小な餌を付けた鉤を水中に落しておいて、魚の方から喰ってくれるのを待つなんて、こんな悠長というよりも、馬鹿々々しいことがあるはずはない。更に、見ていた時に魚というものが釣れるのを、見たためしがない。通りがかりの橋の上や、土手の上などから、他人が魚を釣っているのを見かけ、よく足を停めて佇ずんだり、時として腰を下ろしたりして、暫し見ていることがある。だが、そんな時に限って、魚を釣り上げるところを見たことなど、殆どない。
 だから釣りを理解しない人、釣りの面白さの分らない人から考えたら、釣りくらい馬鹿々々しいことはないのかも知れない。また、その馬鹿々々しい釣りを、ぼんやり見ているくらい、更に馬鹿げたことはないのかも知れない。―そう思うのが、一応の常識であるかも知れない。
 しかし、これを釣りをしている方の側から言えば、釣りくらいしっかりした根拠があって、科学的にも直感的にも正確で、且つ合理的な方法はないのである。魚のいる水と、魚のいない水というものは、何も水底まで透かして見ないでも、水の色や、水の質や更に水のたたずまいを見ただけで、釣りする者には直ぐにハッキリ分るのである。大体河や海の底というものは、陸上の模様と略々同じであって、山もあれば谷もあり、林もあれば森もあり、平野もあれば村落もあり、都会(魚の)もあれば往来もある。魚のいないところ、澤山に集っているところ、魚が通るところ、餌に付くところ、遊ぶところ、それは水底の状況と、水流の工合とに依って、ちゃんと決っているのである。
 それを釣りする者は経験と、直感と、研究とに依って、予め知っているし、一眼見ただけでも分る。ゴビの砂漠や、アルプスの山の頂上のようなところに糸を垂れていたのでは、十年待っても、百年辛抱しても、魚は釣れないのが当り前である。が、しかし魚の都会、村落、往来のようなところ、若しくは魚の遊ぶところ、餌を漁るところに糸を垂れておれば、魚は必ず餌に付かずにはいられないのだし、魚が餌に付きさえすれば、釣ると釣れないとは其を釣る人の技術の巧拙に依ることである。魚の本能と習性とに基づいて、必ず喰うような仕掛と、喰わねばならぬような餌とが眼の前にブラ下がっている以上、魚は必ず喰わずにはいないのだし、喰った以上、どうしても釣り上げられなければならないのである。
 しかし、魚に依ってはのべつ幕なしに、いつでも、いくらでも釣れる魚とナカナカ容易には釣れない魚と、いろいろある。沙魚(ハゼ)とか鮒とかいう魚は、大体に雑作なく釣れるが、鯉は容易に釣れない。鯉釣りは昔から三日に一度アタリがあって、七日に一本釣れればよしとされている。それくらい口が上品でもあるし、悧巧でもある。いくら澤山魚がいて、餌を眼の前に見てもナカナカ餌に付かない。沙魚など餌を見さえしたら、鉤が出ていようが糸が見えようが、すぐ貪婪(たんらん)に飛び付いてパクリとやる。しかし鯉は、何度でも餌の前を知らん顔して素通りする。いざ食うとなっても、一気に喰うようなことはしない。用心に用心をして、尻尾でちょっと触つて見たり、口の尖で小突いて見たりして、それから一旦吸ひ込んでも、少しでもおかしいと思うと、すぐにまた吐き出してしまったりして、それからでないと、なかなか喰わない。
 だから僕は鯉釣りは好きだ。たとえ三日に一度のアタリでも、七日に一本しか釣れなくても、鯉釣りの少しもコセコセしないところ、悠々として鯉と根比べをし、智慧比べをするところに、何とも言えず深い妙趣が感じられるのだ。
 よく気が短い者には釣りは出来ないとか。殊に鯉釣りのごときは、余程気の長い、根気のいい人間でなくては向かないと言われるが、これも亦釣りの趣きを理解しない人々の言である。釣り好きには気が短くて、せっかちな性質の人々が多い。現に僕のごときは、せっかちという点では、決して人後に落ちない方だ。それでいて釣りが好きだし、釣りの中でも鯉釣りのような悠長な釣りが、わけても好きなのだから妙かも知れないが、その実妙でも何でもない。気の短い人々にこそ釣りは性に合っているので、釣り好きの人には、せっかちな性分が多いはずなのである。
 それは釣りというものが初めから終いまで、時々刻々がすべて期待と緊張の充実だからである。糸を垂れるまでは、あそこで斯ういう工合にすれば、どんなに素晴らしい獲物があるか知れない―きっと素晴らしい獲物をせしめずには措かないという期待と、緊張である。一旦糸を下ろせば、今に今にと一秒一分間が、胸もハリ裂けるような緊張感である。だから三日に一度のアタリでも瞬間々々がこの今に今にというハリ切つた気持の連続で、泛子(うき)を見つめ、竿先を見つめ、水を見つめていることが息詰るような緊張で、退屈ということを知らない。三時間や五時間は、この極度の緊張感の中に、一瞬間のごとく飛び去ってしまう。

「濤声」より
昭和18年3月 文松堂

Yahoo! カテゴリ掲載サイトです

旅行、観光 > 旅のノウハウ

名寄岩をさがして

探求探索行動(exploratory seeking)型夏休み旅行の提案

名寄岩とは何か?

名寄岩とは何であるのか、名寄に出かける理由

池波正太郎と名寄岩

池波正太郎にとっての戯曲「名寄岩」

名寄滞在便利手帳

ソフトクリーム、食事スポット、ネットカフェ。

名所観光独案内

名寄周辺の観光名所ガイド、ピヤシリシャンツェ、万里の長城

宿泊施設ホテル格付け

名寄市の宿泊施設ホテルを格付け

名寄で買う 生みやげ

なるべく、本日中にお召し上がりください。と書かれたおみやげ

名寄のプロフィール

日本の中の名寄の位置、名寄都市情報、バス路線図、時刻表