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三鳥問答

伊波普猷

−百年前の琉球儒者の農村観−

 那覇港を西に七十海里離れて、桜と紬で名の知れた久米島といふ美しい小島がある。明初以来琉球へ渡つた封舟が、大方この島に舟掛りした関係上、夙に支那人の間にも知られてゐるが、近頃隋書の琉球伝中のくび嶼が、音韻の類似からこの島に擬せられるやうになつて以来、一入学者の注意をも惹く様になつた。前篇で触れて置いた如く、官生騒動のときこの島に流された久米村の学者に、松永親雲上金文和といふ人があつて、謫居中「三鳥問答」一篇を草し、辞を烏隼鷺の三鳥に仮りて、時の政府の失政を諷刺した、といふ言伝へがあるので、もしかしたら其の草稿が同島に遺つてゐはしないかと、大正二年の夏、私は之を探しにわざわざ同島へ渡つたが、到着した日、之を知人の家で発見したのは、不思議であつた。琉球的漢字交り文で書かれた一種のダイヤローグで、しかも紙魚の害を蒙ること夥しく、殆ど読めなくなつてゐたが、漸く判読することが出来て、現代語に直して見た。序でにいふが、原本は県立沖縄図書館の郷土史料室に保存されてゐる。

 久米島具志川の村役場の西南にあたつて、君嶽(俗にガラサームイと云ふ)といふ丘がある。海中に突出して、其の上に草木が繁茂してゐるので、人皆之を霊山と崇めて、唯一人その中に這入る者が無い。晩になると、其処に島中の鳥類が集まつて来る。鳥の止るには、ほんとに此の上もない所だ。さて其処に年久しく住馴れた烏と隼と鷺とがゐて、或る明月の晩、落合つて月見をすることになつた。


 (隼と鷺とに向ひ)この島は以前には余程豊饒な所で、人口も多く、かういふ月夜の晩などには、男女とも月を賞して、能く遊んだものだが、この節は晩になると皆疲れると見えて、人出も少く、さういつたやうな遊びも無くなつた。まことに情ない。

 これは風旱水災が続いた故だらう。時の運だとあきらめるほか仕方がない。

 否、天は善に福し悪に禍するもので、吉凶禍福は人の自ら招く所だ。どうして時の運といふことがあらうぞ。

 だが、これは僕等の関する所ではない。畢竟取越苦労といふものだ。

 (真面目になつて)頸の長い奴は苦楽を共にしないと聞いてゐるが、成程さうだ。この島に生れ、その粟を食つて生きてる以上は、土地の人と苦楽を共にすべきものだ。民の困苦を見ながら、僕等の関する所でないとは何事だ。

 これは悪かつた。烏君。

 では、ゆつくりこの島の栄枯盛衰について、論じて見ようぢやないか。「三人行へば我が師あり」との聖人のお言葉もあるから、僕等三鳥の問答にも、多少の真理は含まれてゐよう。鷺君は田に栖んでゐるから、田の事情に通じてゐる。隼君は野で遊んでゐるから、畠の様子にくはしい。僕は村落を徘徊してゐるから、人家のことにはあかるい。さあ、これから、古今の栄枯盛衰の事を語らう。

 昔栄えてゐた時分は、人の元気も旺盛であつたから、稲の苅入が終ると、すぐにあらごなしをして、苗を植ゑるまでに、三四回打返すといつたやうに手入れをした。だから自然土地も肥えて、穀物も豊になり、農民は之を見て、笑ひ興じた。その時は、田にも魚類が沢山ゐたので、僕等は鼓腹して、松が枝や岩の上などに集まつて、遊んだものだが、近年は疲弊の結果、人口が滅つたので、折角稲は苅つても、その儘うつちやつて置き、年の暮に苗を植ゑる頃になつて、耕鋤さうとすると、水も乾れ、土も固くなつてゐるので、耕鋤すに骨が折れる。十四五日は、たゞうつちやつて置いて、苗を植ゑるまでに、一二回耕鋤すだけで、碌に手入れなどもしないから、土地はやせる一方で、穀物も自然出来なくなる。年々の不作で、農夫は畦に立つて、今にも泣出しさうな顔付をしてゐる。納税のことで気をもんでゐる有様は、ほんとに気の毒だ。

 畠も御同様だ。昔は何処を探しても、荒畠などは無かつた。残る隈なく耕鋤されて、芋蔓麦粟稷(キビ)の類に至るまで、季節違はず植込み、手入なども十分だつたから、いつも満作だつた。たまに不作な所があつても、さほど困難を感ずるに至らなかつた。だから農夫達は野良に出て、手を拍つて歌を謡ふといふ有様であつた。その時分は、野鼠も沢山居たから、僕等の生活は大ぶ豊富だつた。しかも長閑な日などには、雲井遥に翔上つて、遊んだものだが、今日は打つてかはつて、畠を耕鋤すこともなく、棄畠が多くて、作毛の時節も遅れ、肥料の施し方も足りないので、収穫も従つて少く、食料の不足をかこつといふ有様だ。農夫が野良に出て気をもんでゐる有様は、ほんとに見てゐられない。

 村落でも御同様、どの家も麦豆類まで沢山あつて、生活に余裕があり、牛や馬や豚などの家畜も肥太り、正月や七月には似念仏(芝居の義) 臼太鼓などの余興をなし、節句毎に、牛や豚を屠り、焼酎や御酒を造り、多勢集まつて、踊つたり謡つたりなどした。そして牛や豚を屠つた後では、僕等の一族は、群つて餌を争つたので、随分贅沢な生活をしたものだ。だが、今では打つてかはつて、五穀不作のため、滞納者が多く、役場に呼びつけられて、お目玉を頂戴したり、甚だしきに至つては、鞭うたれたりする。お上の御用も昔に数倍して、小破を修繕する暇さへなく、気力は衰へ果て、田畠に出ても、十分には働けない。四十歳までの女たちは、夜の一時二時頃まで布屋で機を織り、老婦たちはその御飯を焚くに目が廻るほど忙しい。それから家に帰ると、皆々首を集めて、是はどう始末しよう。あれはどう斉へようなどと、溜息をつく。見るに忍びない位だ。
鷺、隼
 (異口同音に)それほどまでに行詰つてゐるのか。この昭代に、どうしてまあそのやうにどん底まで沈んだのか。(と涙を流す)

 (二鳥に)君等が、かういふ場合に、かういふ所の司になるとしたら、どういふ政治をやるか。

 先づ第一に、田の手入れをすることだね、さうすると、自然に余裕が出来て、滞納者はなくなる。

 否、田は年に一度しか作れない。よし満作して、余裕が出来たところで、畠の方を忽せにした日には、食料が続かないで、難渋をする。僕は何よりも先に家を整理して、牛や馬や豚を飼はせ、それから肥料を取つて、田畠に入れ、田畠ともに満作するやうにして、この疲弊を救済したい。(二鳥我れ先きに言はうとして大分喧くなる)

 (思慮ありげに)今のはお互に我田引水の議論だ。兎に角、私見を棄てて、公平に論じなければだめだ。三名の主張は、いづれも必要なことで、一つでも看過してはならないものだ。僕はいづれにもそれ相応の理由があるとして、議論を進めていきたい。家を整理するには、先づ租税などの始末を急にし、なるべく公役を少くし働く時間を多くして、農事にたづさはらせるがいい。また目前の利益ばかりを見て、牛馬などが生長しかけたかと思ふと、渡名喜島の者に売りとばすが、さういふ事なども厳禁して、十分成長させ、もつと繁殖させる方法を講じたい。それが得策だと思ふ。だが、鷺君、田は一たいどうしたらよからう。それについて、君の意見が聞きたい。

 七八月頃には、多少隙が出来るから、その時男女をせき立てて、協力一致して、一気可成に耕鋤させることだ。あらごなし(あらかき)さへ十分にやつて置けば、あとは楽だ。土地も自然に肥え、豊作は受合だ。

 島の女は只管布を織つて、田に出ることがない。やりつけてゐない仕事が、どうして彼女等に出来よう。

 君は知らないのか、孫子が女子でも兵隊に用ゐることが出来る、といつて、之を訓練して呉王の高覧に供したことを。法が厳であつたら、何事でも出来ないことは無い。(二鳥なるほどとうなづく)

 今度は畠のことに就いて、隼君の意見を聞かう。

 畠は四時使ふものだから、一度位手入して済む訳のものでない。春から夏にかけての作毛は、特に必要だ。それまでにしつかり耕鋤して置いて、作毛の時節が来る毎に、男女をせき立てて、芋蔓麦粟の類に至るまで季節を違はず植ゑさせたら、食料のみならす、諸雑穀も余裕が出来て好都合だ。

 女までせきたてたら、両方ともうまくいくかも知れないが、さうすると、御用布を織る者がゐなくなる。これはどうする。

 否、民は国の本、農は民の命だ。農を棄てたら、民が立たない。民が立たなければ、国も立たない。かうした場合には、軽重を考へてしなければならない。御用布が不足したら、其段お断り申し上げても、差支ない。

 理窟は其の通りだが、御上の御召用という重要な問題だ。出来るだけ働かせたら、うまく調ふことと思ふ。だが、さういう風に働かせるのは、上に立つ人の方寸にあることで、僕に出来ることではない。

 上に立つ人は、一事のみならず、万機の政をきくのだから、一人で彼是心配するのは、困難なことだ。

 否々、天下の主は、一人で天下の広きを掌らないでも、それぞれ有司を任命して、御自分はその大綱を取つて居られればいい。この島は小さい島とはいふものの、多勢の吏員がゐるから、適材を適所に置き、法を厳にし、部署を定め、各々その業務に勉励させ、その良否を論じて、賞罰を明にしたら、家に居ても出来ることだ。(二鳥それは尤もだとうなづく)

 この島の人は、貯蓄心に乏しいから、一寸した災難にあつても、食料が欠乏して、飢渇に迫ることがある。どうして貯蓄させたらよかろう。

 備荒貯蓄のことは、政府からも折々御達示になるが、一向其の甲斐がない。少しでも余裕があると、余計なことに使つて、後で困るのを知らない。愚の至りだ。「遠き慮なければ近き憂あり」とは理だ。貯蓄させることについては、年の豊凶、家の厚薄もあるから、一様には言付けにくい。先づ倹約は家を整へる本で、貯蓄は人の家には大切だといふことを村の吏員たちや有志の人たちに納得させて、貯蓄の方法なども委しく教へさせ、豊年で余裕のある時は言ふに及ばず、いつでも日用品から出来るだけ節約して、貯蓄するやう懇に教へたい。さういふ風にしたら、心配はない。凶年に遭遇しても、左程困難を感ずる事はあるまい。

 なるほど、さうしたら、食物の心配は全くなくなるが、綿の産出がなくては、衣類に欠乏を来たし、寒い時には、老若とも寒気に苦しみ、夜も寝られないで、火に当つて寒さを防がなければならないことになる。この辺はどうしたらよからう。

 一物さへ余裕があつたら、外のは買つても間に合ふが、それも永続はすまい。先づどの家にも、綿木を植ゑるやうに命令したら、銘々で植付けて、自給自足が出来るに違ひない。

 否々、植物には、土地に適するのと適せないのとがある。特に綿は風を嫌ふ植物だ。地質の適不適を見ないで、何処にでも植ゑるといふ訳にはいかない。先づ適する所に勝手に植ゑさせて、有を以て無に替へるといつたやうな方針で、自給自足させるがいい。綿の植付法は僕も知らない。島中に誰か知つてゐる者があらう。それに言付けて、教へさせるがいい。その栽培法も心得てゐるものがゐなければ、老農に言付けて、教へさせるがいい。

 材木も家庭用としては、衣食同様に必要なものだ。然るに近来は山林が濫伐されて、用材の不足をかこつに至つた。造林のことは、どうしたらいいだらう。

 それにはちやんと方法があるよ。だが、当分用を弁ずるだけはあるやうだから、さう急務といふ訳のものでもない。それは又いつか論ずることにしよう。

 紬はこの島第一の産物で、お上の御用に立つものだが、この頃は段々出来が少く、借りたり買つたりして、間に合せる。その為に島民は困つてゐる。どうしたらいいだらう。

 それはたやすい事だ。強制的に蚕を養はせるに限る。

 その本立たずんば、其末治まらず、蚕を養ふには、桑の葉が無くてはだめだ。元来この島には、桑敷も下されたのみか、明屋敷も多いが、いづれも空地になつて、牛馬の踏荒すに任せてある。折角蚕を養はうと思つても、桑の葉がないので、遠方まで取りに出かけるか、それとも他所の桑の葉を買つて、養はなければならないといふ面倒を見るから、蚕を沢山養ふことは出来ない。蚕を沢山養へと命令したところで、どうして養へよう。先づ桑を植ゑる方法を教へたら、桑はきつと繁茂する。従つて養蚕もたやすく出来る。後には競争のすがたになつて来る。お上の御用に間に合はないという心配も無くなる。

 かういふ風に、年百年中緊張ばかりすると、心身共に疲労して、たまらなくなる。正月や七月の農閑期を見計らつて、似念仏(村芝居)や臼太鼓などをさせては、どんなものだらう。

 それはいけない。家政さへ整へる暇がないくせに、時間や労力を浪費するのはよくない。「民労すれば即ち善心生ず」と古語にもある通り、どれほど苦労させても、過ぎるといふことはない。どうしてものうけさせてなんか置かれよう。

 臼太鼓は神代からやり来つたものだ。この島では、昔は年々臼太鼓をやつて遊んだものだから、神も出現ましまして、災難は自然になくなり、農事もうまくいつたものだ。かういふ娯楽は、人心を和げるものだ。人が和すれば、神も和し、幸福は自然にやつて来る。だから豊年の祈願が何よりも大事だ。人間は過度に労働すると、憂欝になる。憂欝になると、仕事も埒が明かない。正月や七月には仕事に差支のない限り、遊ばせるがいい。さうすると、心が伸びのびして、家業にも勉励する。兎に角、七月の遊びは御免だから、やつても差支はない筈だ。

 賛成々々。

 この島の人口問題を研究して見ると、出産率がだんだん低下するやうだ。昔に比較すると、二三割に減じた部落もあれば、四五割に減じた部落もある。近来の疲弊は全くその為だ。この有様では、人口は減る一方だ。人が少くなると、衣食が足りてもだめだ。君等は之をどう考へる。

 これは由々しき大問題だが、造物者のすることは、鳥類の浅薄な知識では、到底思議することが出来ない。

 これはなるほど大問題だ。どう考へても、わかる気遣ひはない。烏君は多産の方だから、定めし意見があらう。御高説が拝聴したい。

 これは至つて高遠な理窟で、僕にもまだ定見がない。だが、兎に角思付いただけを言つて見よう。一体子といふものは、無極の精と無二の誠とが妙合して、胎内に宿るのであるのに、近来は不景気の為に、男女とも栄養不良になり、従つて精神も不活撥になつてゐるから、出産率が低下して来た。衣食が足りて、身体の養ひが良くなつたら、自然出産率も高まると思ふ。淫乱になると、其の心が不純になるから、妊娠しにくい。だから淫婦には子が少い。この島は淫乱な所で、男女の交際が不潔だ。だから出産率が低い。のみならず「淫すれば善を忘れて、悪心生ず」と古語にもある通り、淫乱は世道人心を乱すもので、その影響する所がおびただしい。どうしても改めなければならない。

 これは尤な事だ。だが、淫事は内証でやるのだから、法律の力の及ばざるところだ。どうして改めたらよからう。

 かういふ人心の廃頽は、とても一朝一夕には直せまい。社会教育の力で、漸次悪い風習を改めていくことだ。つまりは、夫婦は人倫の大綱で、夫婦の別が立たないと、五倫が立たないといふ道理や、その外孝悌忠信貞節といつたやうな道徳を折々話して聞かすに限る。それから吏員たちが徳行を以て人民に臨むやうになると自然風俗は改まり、人心も善に向ひ、淫乱の風は一掃される。

 名論だ。「五教を敷くこと寛にあり」と聖人は言はれたが、しかし実際法律の力の及ぶ範囲では、法律の力を借りる必要がある。この島の宴会には、いつも男女が入乱れて、肩を叩いたり、手を握つたりして、聞くに堪へないことを語り合ふ。それからまた猥褻な歌ばかり謡ふのだから、自然これが野合の手引きになる。かういふ蛮風は是非改めたいものだ。
鷺、隼
 (異口同音に)尤だ。男女の交際は、聖人の教では、至つて厳重だ。慎まなくてはなるまい。

 さうなると、家も富み、風俗も改まり、全島は繁昌して、やがて昔のやうな盛んな遊びも見られよう。いや、僕等三名、身の程も知らずに、大言壮語した。もし人様がそこいらで聞いてゐたら、笑つたに違ひない。だが、その中に、善い所があつたら、取るがいい。悪い点があつたら、捨てるがいい。少しでも参考になつたら、何よりだ。夜もだんだん更けて来たやうだ。もう一度の会合までに、十分研究して置いて、更に議論を闘はすことにしよう。
 と言つて、鷺は田へ、隼は野へ、烏は村落へ、同時に飛去つた。
(昭和三年『旅と伝説』一ノ五)

「古琉球」改版より
昭和17年 青磁社

※本文中には、不快用語が含まれるが、本文の主題は別にあり、その理解のためにこれを残した。

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