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チョウシ屋の法則

「自分がある事物の発明者」だとインタビュー先が名乗り出ると、取材者が、検証をせずにそれをそのまま記事にしてしまうこと。その記事の引用が、次々繰り返され、いつしかそれがあたかも真実と考えられてしまうこと。
東京都中央区東銀座の「チョウシ屋」阿部清六氏が、ジャガイモを使ったコロッケ(ジャガイモをベシャメルソースの代わりに使用するコロッケ)の発明者は、自分であると話した明らかな嘘が、今も一部に信じられていることに由来する。
「チョウシ屋の法則」の発生しやすい条件として、「庶民的なものである」、「改良にすぎないものである」ことなどがある。
「チョウシ屋の法則」が当てはまる事物には、発明者の証言が変化していくなど数々の特徴が見られる。取材者が、その立場をこえ発明者に、知恵をつけ嘘の証言の訂正(嘘とバレないよう)を促し、もっともらしい嘘のストーリー作りに手を貸すこともある。取材者が、学者であろうが、ジャーナリストであろうが、この法則は発生する。取材先の問題というより、手間のかかる検証を行わないで記事にしてしまう取材者側の倫理問題と考えられる。

チョウシ屋の法則 チョウシ屋の実例

「にっぽん味の職人物語」(小菅桂子著 新潮社 昭和60(1985)年)によれば

「チョウシ屋」阿部清六氏(明治35(1902)年生まれ)は、大正10(1921)年 東京日比谷の長楽軒という洋食屋でコックで働いていた時に、ビシャメル(原文ママ)を使ったコロッケは値段が高く、いつでも気軽にたべられるコロッケを作ろうと日夜考えて代わりにジャガイモを使うコロッケを発明したという。発明の動機は、 「…長楽軒は日曜になると家族連れで賑わう。そういう時、子どもが決まって注文するメニューがコロッケであった。コロッケは二十銭と高く、いくらせがまれても親はそうそう子供にコロッケをとることできない。子供はそのたびにガッカリした顔をする。 同時に調理場からその様子をみている阿部さんの胸もいたむ。」ことにあったという。 そして、ジャガイモコロッケの発明によって「…大繁盛したもんだから、長楽軒のあった有楽町界隈の洋食屋はあたしを殺せって騒いだらしいよ」と述べている。
本のカバーによれば著者小菅桂子氏は、杉野女子大学博物学講師(出版当時)であるという。
結果的に嘘の話しを鵜呑みにし、世の中に広めた博物学者の小菅氏ではあるが(小菅氏はこの本に限らず多くのチョウシ屋ジャガイモコロッケ発明説を肯定する文章を書いている)、この本の貴重なところは数字や地名をちりばめ、手の込んだ、偽発明者のうそ話しをそのまま書き残していることにある。

サライ(小学館) 2002年第5号では、以下のように話しは変化する

ジャガイモコロッケ誕生秘話を、2代目の力造さん(68歳)はこう話す。
「当時、牛乳で作るベシャメルのクリームコロッケは、高嶺の花でした。父は一般の人が、家で食べるコロッケを作ろうと考えました。試作品は、ジャガイモが普及した大正6(1917)年にできたようです」(15ページ)

この証言の変化が興味深いのは、「試作品」という言葉を使って発明の時期を無理に4年早めていることにある。この重要な変化は、見過ごされており、サライの取材者が全く(嘘の内容であっても)検証を行っていないことが分る。同時に動機も変化している。 この証言が本当(嘘であることは後述する)なら、阿部清六氏は、15歳にしてこれほど世の中に広がったモノの試作品を作ったことになり、天才少年としてのストーリー性も帯びてくるがサライは見事にスルーしている(検証無しだから当たり前といえば当たり前)。

コロッケの唄

さて、本人が1921年(大正10)に発明したと明確に言っているのに(前掲書)、なぜ、息子である2代目が、「試作品」という無理な言葉を入れてまで4年発明を早めているのか?

1917年(大正6)に、東京の帝国劇場で上演された喜劇「ドッチャダンネ」で歌われた「コロッケの唄」は、毎日のおかずがコロッケでうんざりするという内容で、この時期、既にコロッケが普及していたことを現代に伝えている。阿部清六氏の前掲書の証言(大正10年には、ベシャメルソースの高級なコロッケしかなかったという話し)と明らかな齟齬がある。その綻びを繕うため、4年発明を早めたと考えられる。
一部には、阿部清六氏の証言に引きずられたのか「コロッケの唄」に歌われたのは、「ジャガイモのコロッケ」ではなく「ベシャメルソースの高級なコロッケ」であるという反対意見もある(博学ともいわれる映画監督 山本嘉次郎氏など)。

明治、大正期のコロッケレシピ

「チョウシ屋」阿部清六氏の「ベシャメルソースの代わりにジャガイモを使ったコロッケの発明者(考案者) は自分」であるという嘘を暴くには、本人が発明したという1921(大正10)年、もしくは、息子である力造氏が、清六氏が「試作品」を作ったという1917(大正6)年以前のジャガイモを使ったコロッケのレシピをさがす必要がある。
明治、大正期のジャガイモのコロッケのレシピには以下のようなものがある。

『家庭料理法』(1903(明治36)年横井玉子著 富山房)には,軽便牛肉と馬鈴薯の調理という題で、ほぼ完全なジャガイモコロッケのレシピが掲載されている。国立国会図書館 近代デジタルライブラリーのサイトでは、直接本の内容を見ることも出来る。
国立国会図書館 近代デジタルライブラリー: 『家庭料理法』195ページ

・軽便牛肉と馬鈴薯の調理

ジャガ薯を湯煮し皮をむき、擂鉢にてよくつぶし、牛肉一斤(600グラム)を細かにたたき、ジャガ薯(大なるは五つ小なるは七つ位)たたき、肉とよく交ぜ、其中へ胡椒末、塩、葱(注)を細かに刻み、共によく交ぜ合、丸く平たくなし置き、中皿に玉子一つ割り、之を附けては麦粉、パン粉を附けて、牛の製油にて揚げるなり。二つ位を一人前となし。皿に盛り、芹を添へて出すべし。又同じ仕方にて揚げたる肉ジャガ薯を、醤油と砂糖にて味を附ければ、日本料理に用ひても可なり、之は至て経済料理なり。
注 長ネギ

1915(大正4)年5月8日の読売新聞 「よみうり婦人付録」には、『毎日の惣菜』として野菜コロッケのレシピが紹介され、完全なジャガイモコロッケ(豚肉使用)のレシピが、新聞記事として掲載されている。

・野菜コロッケ

豚半斤(300グラム)を挽肉となし置き、鍋へバタをとかして玉葱の細かくきざんだるを入れ、玉ねぎ(原文ママ)が少し煮えたるところへ前の豚肉を入れて、塩胡椒をふり、肉の色のかわりし時にメリケン粉ひとつかみを入れ、かきまはし火より下ろしてさまし、別にジャガ芋五合の皮をむきてゆでて裏漉しにかけ、塩胡椒をふり、前の肉とまぜ合わして俵の形に作りメリケン粉をつけ、その上へ玉子の黄身へ水少し加えしをつけ、更にパン粉をつけてヘットで揚げます。

上記2つのレシピを見れば、「チョウシ屋」阿部清六氏のジャガイモを使ったコロッケ(ジャガイモをベシャメルソースの代わりに使用するコロッケ)の発明者(考案者)であるという話は、真っ赤な嘘であることがわかる。「家庭料理法」では、レシピの最後に「経済料理」と但し書きがあり、「よみうり婦人付録」では、「毎日の惣菜」として紹介されている。
読売新聞の記事は、発行部数が限られる書籍や雑誌に掲載されたレシピと異なり、遅くとも大正4年には新聞というメディアによって広く社会にジャガイモコロッケが、知られていた証拠ともなる貴重なレシピでもある。

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