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あるとはいでるべるひ

だざいおさむ

 8ねんまへのことでありました。とうじ、わたしはきわめてらんだなていこくだいがくせいでありました。ひとなつを、とうかいどうみしまのやどですごしたことがあります。50えんをこきょうのあねから、これがさいごだといつて、やつとおくつていただき、わたしはがくせいかばんにきがえのゆかたやらしゃつやらをつめこみ、それをもつてふらと、げしゅくをたちいで、そのままきしゃにのりこめばよかつたものを、ほうがくをまちがへ、なじみのおでんやにとびこみました。そのところにはともだちが3にんきあはせていました。やあ、やあ、めかしてどこへいくのだと、すでによつぱらつてゐるゆうじんたちは、わたしをからかひました。わたしはきよわくろうばいして、いやどこといふこともないんだけど、きみたちも、いかないかね、とこころにもないかんゆうがふいとくちから、すべりでて、それからはきこのいきおいで、ぼくにね、50えんあるんだ、こきょうのあねからもらつたのさ、これから、みんなでりょこうにでようよ、なに、したくなんかいらない、そのままでいいぢやないか、いかう、いかう、とやけくそになり、しぶるゆうじんたちをひっぱるやうにしてつれだしてしまひました。あとは、どうなることか、わたしじしんにさへわかりませんでした。あのころはわたしも、ずいぶん、のんきなところのあるこどもでした。よのなかもまた、わたしたちをのんきにあまえさせてくれてゐました。わたしは、みしまにいつてしょうせつをかかうとおもつていたのでした。みしまにはたかべさきちさんといふ、わたしより2つとししたのせいねんがさかやをひらいていたのです。さきちさんのにいさんはぬまづでおおきいつくりさかやをいとなみ、さきちさんはそのいえのすえつこで、わたしとふとしたことからしりあひになり、わたしもどうようにまっていであるし、またどうようにはやくからちちにしなれてゐるみのうえなので、さきちさんとは、なにかとはなしがあふのでした。さきちさんのにいさんとはわたしもあつたことがあり、なかなかふとつぱらのよいかただし、さきちさんはいえじゅうのあいをどくせんしているくせに、それでもなにかとふへいがおおいようで、いえをとびだし、とうきょうのわたしのげしゅくへ、にこにこわらつてやつてきたこともありました。さまざまだだをこねていたやうですが、どうにかおちつき、みしまのまちはづれにこぢんまりしたいえをもち、にいさんのいえのさかだるをみせにならべ、さけのこうりをはじめたのです。20さいのいもうとさんとふたりですんでいました。わたしは、そのいえへいくつもりであつたのです。さきちさんから、てがみでようすをきいてゐるだけで、まだそのいえをみたこともなかつたので、いつてみてぐあいがわるいやうだつたらすぐかえらう、ぐあいがいゝやうだつたらひとなつおいてもらつて、しょうせつをいっぺんかかう、さうおもつていたのでありましたが、こころならずも3にんのゆうじんをしょうたいしてしまつたので、わたしは、とにかくみしままでのきっぷを4まいかひ、じしんありげにゆうじんたちをきしゃにのせたものの、さてこんなにおおぜいでさきちさんのちいさいさけてんにごやっかいになつていいものかどうか、きしゃのすすむにつれてわたしのふあんはぞうだいし、そのうちにひもくれて、みしまえきちかくなるころには、あまりのこころぼそさにぜんしんこまかにふるへはじめ、いくどとなくなみだぐみました。わたしはじしんのこのふあんを、ゆうじんにしらせたくなかつたので、けんめいにさきちさんのひとがらのよさをかたり、みしまについたらしめたものだ、みしまについたらしめたものだと、じぶんでもいやになるほど、そのまのぬけたむいみなことばをいくどもいくどもくりかえしていふのでした。あらかじめさきちさんにはでんぽうをうつておいたのですが、はたしてみしまのえきにむかへにきてくれているかどうか、もしむかへにきていてくれなかつたら、わたしはこの3にんのゆうじんをかかへて、いったいどうしたらいいでせう。わたしのめんもくは、まるつぶれになるのではないでせうか。みしまえきにおりてかいさつぐちをでると、こうないはがらんとしてだれもおりませぬ。ああ、やはりだめだ。わたしはなきべそかきました。えきはたはたのまんなかにあつて、みしまのまちのひさへみえず、どちらをみまわしてもまっくらやみ、いなだをなでるかぜのおとがさやさやきこえ、かえるのこえもむねにしみて、わたしはまったくとほうにくれました。さきちさんでもいなければ、わたしにはどうにもしまつがつかなかつたのです。きしゃちんやなにかで、あねからもらつた50えんも、そろそろへつておりますし、ゆうじんたちにはもちろんもちあわせのあるはずはなし、わたしがそれをしょうちで、おでんやからそのままひっぱりだしてきたのだし、さうしてゆうじんたちはわたしをじゅうぶんにしんようしてゐるようすなのだから、いきほひわたしもじしんあるたいどをよそはねばならず、なかなかくるしいたちばでした。むりにわらつてわたしは、おおごえでいひました。
「さきちさん、のんきだなあ。じかんをまちがへたんだよ。あるくよりほかはない。このえきにはもとからばすもなにもないのだ。」としつたかぶりしてかばんをもちなおし、さつさとあるきだしたら、そのとき、やみのなかから、ぽつかりきいろいへっどらいとがうかび、ゆらゆらこちらへおよいできます。
「あ、ばすだ。いまは、ばすもあるのか。」とわたしはてれかくしにつぶやき、「おい、ばすがきたやうだ。あれにのらう!」といさんでゆうじんたちにごうれいし、みなみちばたによつてならびたち、そうりょくのおそいばすをまつていました。やがてばすはえきまえのひろばにとまり、ぞろぞろひとがおりて、とみるとさきちさんがしろゆかたきてすましておりました。わたしは、うなるほどほつとしました。
 さきちさんがきたので、たすかりました。そのよはさきちさんのあんないで、みしまからはいやーで30ぷん、こなおんせんにいきました。3にんのゆうじんと、さきちさんと、わたしと5にん、こなでも1ばんいいほうのやどやにおちつき、いろいろのんだり、たべべたり、ゆうじんたちもおおいにまんぞくのようすで、あくるひとうきょうへ、ありがとう、ありがとうとほがらかにいつてかえつていきました。やどやのかんじょうも、さきちさんのくちききでとくべつにやすくしてもらひ、わたしのまずしいかいちゅうからでもじゅうぶんにしはらふことができましたけれど、ゆうじんたちにかえりのきっぷをかつてやつたら、あと、50せんものこりませんでした。
「さきちさん、ぼく、びんぼうになつてしまつたよ。きみのみしまのいえにはぼくのねるへやがあるかい。」
 さきちさんはなにもいはず、わたしのせなかをどんとたたきました。そのままひとなつをわたしはみしまのさきちさんのいえでくらしました。みしまはとりのこされた、うつくしいまちであります。まちじゅうをすいりょうたつぷりのすんだおがわが、それこそくものすのやうにじゅうおうむじんにのこるくまなくかけめぐり、せいれつのながれのそこにはみずもがあおあおとはえていて、いえいえのにわさきをながれ、えんのしたをくぐり、だいどころのきしをちやぷちやぷあらひながれて、みしまのひとはだいどころにすわつたままでせいけつなおせんたくができるのでした。むかしはとうかいどうでもゆうめいなしゅくばであつたやうですが、だんだんさびれて、まちのふるいじゅうみんだけがいこぢにでんとうをほこり、さびれてもはでなふうしゅうをうしなはず、いはば、めつぼうのたみの、めいよあるらんだにふけつてゐるありさまでありました。じつにあそびにんがおおいのです。さきちさんのいえのうらに、ときどきせりいちがたちますが、わたしもいちどみにいつて、ついめをそむけてしまひました。なんでもかれでもうつちやふのです。のつてきたじてんしゃを、そのままうりはらふのは、まだよいほうで、おぢいさんがふところからはあもにかをとりだして5せんにうつたなどはきっかいでありました。ふるいだるまのじくもの、ぎんめっきのとけいのくさり、えりあかのついたおんなのはんてん、がんぐのきしゃ、かや、ぺんきえ、ごいし、かんな、こどものうぶぎまで、17せんだ、20せんだといつてわらひもせずにうりかひするのでした。あつまるものはたいてい40から50、60のそうとうねんぱいのおとこばかりで、いづれはどうらくのはて、5ごうのにごりざけがほしくて、とりすがるにょうぼこどもをけとばしはりとばし、いえじゅうのさいごのいちぶつまでもちこんできたといふかんじでありました。あるいはまた、まごのはあもにかを、じいにかせとおどしてとりあげ、こつそりうらぐちからぬけだし、あたふたここへやつてきたといふやうなかんじでありました。じゅずを2せんにうりはらつたろうやもありました。わけてもひどいのは、はんぶんほどきかけの、おんなのよごれたあわせをそのまままるめてふところへつつこんできたあたまのはげたじょうひんなかおのごいんきょでした。ほとんどやぶれかぶれにそのぬのを(もはやきものではありません。)ひろげて、さあ、なんぼだ、なんぼだとじちょうのしょうをうかべながらねをはらせていました。たいはいのまちなのであります。まちへでてのみやへいつても、むかしの、しゅくばのときのままに、のきのひくい、あぶらしょうじをはつたきたないいえでおさけをたのむと、かならずそこのろうしゅじんがみずからおかんをつけるのです。50ねんかんおきゃくにおかんをつけてやつたとじまんしていました。さけがうまいもまづいも、すべておかんのつけやうひとつだといきごんでいました。としよりがそのしまつなので、わかいものはなおのこと、あそびなれてきしゃなからだをしています。まいにちあさから、いろいろだいしょうのよたものがさきちさんのいえにあつまります。さきちさんは、そんなにみかけはがんじょうでありませんが、それでもけんかがつよいのでせうか、みんなさきちさんにしんぷくしてゐるやうでした。わたしが2かいでしょうせつをかいていると、したのおみせであさからみんながわあわあさわいでゐて、さきちさんはひときわたかいこえで、
「なにせ、2かいのきゃくじんはすごいのだ。とうきょうのぎんざをあるいたつて、あれくらいのおとこつぷりは、まづないね。けんかもやけにつよくて、ろうにはいつたこともあるんだよ。からてをしつているんだ。みろ、このはしらを。へこんでいるずら。これは、2かいのきゃくじんがちよいとぶんなぐつてみせたあとだよ。」と、とんでもないうそをいつています。わたしは、すこぶるおちつきません。2かいからおりていつてはしごだんのあがりくちからこごえでさきちさんをよび、
「あんなでたらめをいつてはいけないよ。ぼくがかおをだされなくなるぢやないか。」さうくちをとがらせてふふくをいふと、さきちさんはにこにこわらひ、
「だれもほんきにきいちやいません。はじめからうそだとおもつてきいているのですよ。はなしがおもしろければ、きやつらよろんでいるんです。」
「さうかね。げいじゅつかばかりいるんだね。でもこれからは、あんなうそはつくなよ。ぼくはおちつかないんだ。」
さういひすててまた2かいへあがり、その「ろまねすく」といふしょうせつをかきつづけていると、またも、さきちさんのひときわたかいこえがきこえて、
「さけがつよいといつたら、なんといつたつて、2かいのきゃくじんにかなふものはあるまい。まいばん2ごうとっくりで3ぼんのんで、ちよつとほつぺたがあかくなるくらいだ。それから、きがるにたつて、おいさきちさん、せんとうへいかうよといひだすのだから、そうとうだらう。ふろへはいつて、ゆうゆうとにほんかみそりでひげをそるんだ。きずひとつつけたことがない。おれのひげまで、ときどきそられるんだ。それでけえつてきたら、またひとしごとだ。おちついたもんだよ。」
 これもまた、うそであります。まいばん、わたしがだまつていても、ゆうしょくのおぜんにおおきい2ごうとっくりがつけてあつて、こういをむにするのもどうかとおもひ、わたしはおおいそぎでのむのでありますが、なにせじょうぞうもとからちょくせつもつてきているおさけなので、みずなどわつてあるはずはなし、すこぶるじゅんすいどがたかく、ふつうのおさけの5ごうぶんくらいによふのでした。さきちさんはじぶんのいえのおさけはのみません。あにきがこしらへてふとうのりえきをむさぼつているのを、このめでみてしつていながら、そんなさけとてものまれません。げろがでさうだ、といつて、おさけをのむときは、そとへでてよそのさけをのみます。さきちさんがなにものまないのだから、わたしひとりでよつぱらつているのもていさいがわるく、あたまがぐらぐらしていながらも、2ごうのみほしてすぐにごはんにとりかかり、ごはんがすんでほつとするまもなく、さきちさんがふろへいかうとわたしをさそふのです。ことわるのもわがままのやうなきがして、わたしも、いかうとおうじて、つれだつてせんとうへでかけるのです。わたしはふろへはいつてこきゅうがくるしくしにさうになります。ふらふらしてながしゆからだついばへのがれでようとすると、さきちさんはわたしをつかまへ、ひげがのびています。そつてあげませう、としんせつにいつてくださるので、わたしはまたもことわりきれず、ええ、おねがひします、とたのんでしまふのでした。くたくたになり、よろめいていえへかえり、ちよつとしごとをしようかな、とつぶやいて2かいへはひあがり、そのままねころんでねむつてしまふのであります。さきちさんだつて、それをしつているにちがひないのに、なんだつてあんなうそのじまんをするのだらう。みしまには、ゆうめいなみしまたいしゃがあります。ねんにいちどのおまつりは、しだいにちかづいてまいりました。さきちさんのみせさきにあつまつてくるわかものたちも、それぞれおまつりのやくいんであつて、さまざまのけいかくを、はしやいでそうだんしあつていました。おどりやたい、てこまい、だし、はなび、みしまのはなびはむかしからでんとうのあるものらしく、みずはなびといふものもあつて、それはたいしゃのいけのまんなかでしかけはなびをおこなひ、そのはなびがいけもにうつり、はなびがもくもくいけのそこからわいてでてるやうにみえるしゅこうになつているのださうであります。およそ100しゅるいくらゐのしかけはなびのめいしょうがじゅんじょをおうてきされてあるおおきいばんづけが、かくいえごとにはいふされて、ひいちにちとおまつりきぶんが、さびれたまちのすみずみまで、へんにかなしくときめきうきたたせておりました。おまつりのとうじつはあさからよくはれていてわたしがかおをあらひにいどばたへでたら、さきちさんのいもうとさんはあたまのてぬぐいをとつて、おめでたうございます、とわたしにあいさついたしました。ああ、おめでたう、とわたしもふしぜんでなくおいわひのことばをかえすことができました。さきちさんは、ちょうぜんとして、べつにおまつりのはれぎをきるわけでなし、ふだんぎのままで、みせのようじをしていましたが、やがて、くるわかもの、くるわかもの、すべてはでなおおなみもようのおそろひのゆかたをきて、こしにうちわをさし、やはりそろひのてぬぐいをくびにまきつけ、やあ、おめでたうございます、やあ、こんにちはおめでたうございますと、はればれしたえがおで、わたしとさきちさんとにあいさつしました。そのひはわたしも、あさからなんとなくおちつかず、さればといつて、あのわかものたちといっしょにだしをひっぱりまわしてあそぶこともできず、しごとをちよつとしかけては、またたちあがり、2かいのへやをただうろうろあるきまわつていました。まどによりかかり、にわをみおろせば、いちじくのじゅいんで、なにごともなささうにいもうさんがさきちさんのずぼんやら、わたしのしゃつやらをせんたくしていました。
「さいちやん。おまつりをみにいつたらいい。」
 とわたしがおおごえではなしかけると、さいちやんはふりむいてわらひ、
「わたしはおとこはきらひぢや。」とやはりおおごえでこたへて、それから、またじやぶじやぶせんたくをつづけ、
「さけずきのひとが、さかやのまえをとおると、ぞつとするほど、いやなきがするもんでせう? あれとおなじぢや。」
とふつうのこえでいつて、わらつているらしく、すこしいかつているかたがひくひくうごいていました。いもうとさんは、たつたはたちでも、22さいのさきちさんより、また24さいのわたしよりもおとなびて、いつも、たいどがせいけつにはきはきして、まるでわたしたちのかんとくしゃのやうでありました。さきちさんもまた、そのひはいらいらしているようすで、まちのわかものたちとともにあそびたくても、はでなおおなみのゆかたなどをきるのは、だんぜんじそんしんがゆるさず、ぎゃくに、ことさらにおまつりにはんぱつして、ああ、つまらぬ。きょうはおみせはやすみだ、もうだれにもさけはうつてやらない、とひとりでひがんで、じてんしゃにのり、どこかへいつてしまひました。やがてさきちさんからわたしにでんわがかかつてきて、れいのところへこいといふことだつたので、わたしはほつとすくはれたきもちであたらしいゆかたにきがへ、いえをとんででました。れいのところとは、おさけのおかんを50ねんかんやつているのがごじまんのろうやののみやでありました。そこへいつたらさきちさんと、もうひとりえじまといふせいねんが、にこりともせずだいふきげんでさけをのんでいました。えじまさんとはそのまえにも23どあそんだことがありましたが、さきちさんとおなじで、おかねもちのいえにそだち、それがふへいで、なにもせずに、ただよをおこつてばかりゐるせいねんでありました。さきちさんにまけないくらい、うつくしいかおをしていました。やはりきょうのおまつりのさわぎに、ひとりでひがんではんこうし、わざときたないふだんぎのままで、そのすすぐらいのみやで、さけをまづさうにのんでいるのでありました。それにわたしもくわはり、しばらく、だまつてさけをのんでいると、おもてはぞろぞろひとのぎょうれつのあしおと、はなびがあがり、ものうりのこえ、たまりかねたかえじまさんはたちあがり、いかう、かのがわへいかうよ、といひだし、わたしたちのへんじもまたずにみせからでてしまひました。3にんが、まちのうらどおりばかりをわざとえらんであるいて、ちえつ! なんだいあれあ、とくちぐちにおまつりをいみなくけいべつしながら、みしまのまちからのがれでてぬまづをさしてどんどんあるき、ひのくれるころ、かのがわのほとり、えじまさんのべっそうにとうちゃくすることができました。うらぐちからはいつていくと、きゃくまにひとりおぢいさんがしゃついちまいでねころんでいました。えじまさんはおおごえで、「なあんだ、いつきたんだい。ゆうべまたてつやでばくちだな? かえれ、かえれ。おきゃくさんをつれてきたんだ。」
 ろうじんはおきあがり、わたしたちにそつとあいそわらひをうかべ、さきちさんはそのろうじんに、おそろしくていねいなおじぎをしました。えじまさんはへいきで、
「はやくきものをきたほうがいい。かぜをひくぜ。ああ、かえりしなにでんわをかけてびいるとそれからなにかりょうりをここへすぐにとどけさせてくれよ。おまつりがおもしろくないから、ここでしぬほどのむんだ。」
「へえ。」とひょうきんにへんじして、ろうじんはそそくさきものをきこんで、きえるやうにいなくなつてしまひました。さきちさんはきゅうにおおごえだしてわらひ、
「えじまのおとうさんですよ。えじまをかわいくつてしようがないんですよ。へえ、といひましたね。」
 やがてびいるがとどき、さまざまのりょうりもきて、わたしたちはなんだかいみのわからないうたをがっしょうしたやうにおぼえています。ゆうもやにつつまれた、がんぜんのかのがわはまんまんとみずをたたへ、きしのあおばをなめてゆるゆるとながれていました。おそろしいほどふかいあおいかわで、らいんがわとはこんなのではないかしら、とわたしはすこぶるとうとつながら、さうおもひました。びいるがなくなつてしまつたので、わたしたちはまた、みしまのまちへひっかえしてきました。ずいぶんとおいみちのりだつたので、わたしはあるきながら、なんどもなんども、こくりといねむりしました。あわててしぶいめをひらくとほたるがすいとひたいをよこぎります。さきちさんのいえへたどりついたら、さきちさんのいえにはぬまづのじっかのおかあさんがやつてきていました。わたしはごめんこおむつて2かいへあがり、かやをさんかくにつつてねてしまひました。いひあらそふやうなこえがきこえたのでめをさまし、まどのほうをみると、さきちさんはながいはしごをやねにたてかけ、そのはしごのしたでおかあさんとうつくしいいひあらそひをしていたのでありました。こんや、あげはなびのむすびとして、2しゃくだまがあがるといふことになつていて、まちのわかものたちもそのちょっけい2しゃくのあげはなびのたまについては、よほどまえからこうふんしてはなしあつていたのです。その2しゃくだまのはなびがもうあがるじこくなので、それをどうしてもおかあさんにみせるといつてきかないのです。さきちさんもそうとうよつておりました。
「みせるつたら、みねえのか。やねへあがればよくみえるんだ。おれがおぶつてやるつていふのに、さ、おぶさりなよ、ぐづぐづしていないでおぶさりなよ。」
 おかあさんはためらつているようすでした。いもうとさんもそばにほのしろくたつていて、くすくすわらつているようすでした。おかあさんはだれもいぬのにそつとあたりをみまわし、いをけっしてさきちさんにおぶさりました。
「ううむ、どつこいしよ。」なかなかおもいようすでした。おかあさんは70ちかいけれど、めかたは15、6かんもそれいじょうもあるやうなずいぶんふとつたおかたです。
「だいじょうぶだ、だいじょうぶ。」といひながら、そろそろはしごをのぼりはじめて、わたしはそのおやこのすがたをみて、ああ、あれだから、おかあさんもさきちさんをかわいくてたまらないのだ。さきちさんがどんなわがままなふしだらをしても、おかあさんはにいさんとけんかしてまでも、まっていのさきちさんをかばふわけだ。わたしははなびの2しゃくだまよりもいいものをみたやうなきがしてまんぞくしてねむつてしまひました。みしまには、そのほかにもかずかずのわすれがたいおもひでがあるのですけれども、それはまた、あらためてもうしませう。そのときみしでかいた「ろまねすく」といふしょうせつが、23のひとにほめられて、わたしはじしんのないままにいままでなにやらへたなしょうせつをかきつづけなければならないうんめいにたちいたりました。みしまは、わたしにとつてわすれてならないとちでした。わたしのそれから8ねんかんのそうさくはぜんぶ、みしまからおしへられたものであるといつてもかごんでないほど、みしまはわたしにじょうだいでありました。
 8ねんご、いまはあねにおかねをねだることもできず、こきょうとのおんしんもふつうとなり、まずしいやせたひとりのさっかでしかないわたしは、せんじつ、やつとすこしまとまつたかねができて、かないと、かないのははと、いもうととをつれていずのほうへいっぱくりょこうにでかけました。しみずでおりて、みほへいき、それからしゅぜんじへまはり、そこでいっぱくして、それからかえりみち、たうとうみしまにおりてしまひました。いいところなんだ、とてもいいところだよ。さういつてみなをみしまにげしゃさせて、わたしはむりにはしやいでみしまのまちをあちこちあんないしてあるき、むかしのみしまのおもひでをおもしろをかしく、つとめてかたつてきかせたのですが、わたしじしんだんだん、しよげて、しまひには、ものもいひたくなくなるほどけはしいゆううつにおちこんでしまひました。いまみるみしまはこうりょうとして、まったくひとのまちでした。ここにはもう、さきちさんもいない。いもうとさんもいない。えじまさんもいないだらう。さきちさんのみせにまいにちあつまつていたわかものたちも、いまはぶんべつくさいかおになり、にょうぼをどなつたりなどしているのだらう。どこをあるいてもむかしのかおりがない。みしまがいろあせたのではなくして、わたしのむねがおいひからびてしまつたせゐかもしれない。8ねんかん、そのあいだには、おうねんののんきなていこくだいがくせいのみのうえにも、こんくきゅうぼうのつきひばかりがつづきました。8ねんかん、そのあいだにわたしは、20もとしをとりました。やがてあめさへふつてきて、かないも、ははも、いもうとも、いいまちです、おちついたいいまちです、とくちではほめてゐながら、やはりとうわくさうなかおいろはおおふべくもなく、わたしは、たまりかねてむかしなじみののみやにみなをあんないしました。あまりきたいいえなので、かどぐちでおんなたちはためらつていましたが、わたしはおもはずおおごえになり、
「みせはきたなくても、さけはいいのだ。50ねんかん、おさけのかんばかりしているぢいさんがいるのだ。みしまでゆいしょのあるみせですよ。」むりやりはいらせて、みるともう、あのあかしゃつをきたおぢいさんはいないのです。つまらないじょちゅうさんがでてきてちゅうもんをききました。みせのしょくたくも、こしかけも、むかしのままだつたけれど、みせのすみにでんきちくおんきがあつたり、かべにはえいがじょゆうの、げひんなおおきいにがおえがはられてあつたり、かとうにすさんだかんじがこいのであります。せめてさまざまのりょうりをとりよせ、しょくたくをにぎやかにして、このどうにもならぬいんうつのけはいをとりはらひたくおもひ、
「うなぎと、それからえびのおにがらやきとちゃわんむし、4つづつ、ここでできなければ、そとへでんわをかけてとつてください。それから、おさけ。」
 はははわきできいてはらはらして、「いらないよ、そんなにたくさん。むだなことは、およしなさい。」とわたしのやりきれなかつたこころもしらず、まじめにいふので、わたしはいよいよやりきれなく、このよでいちばんしょげてしまひました。

「ふじんがほう」
しょうわ15ねん3がつ1ひ 433ごう

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