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織田君の死

太宰治

 織田君は死ぬ気でゐたのである。私は織田君の短篇小説を二つ通読した事があるきりで、また、逢つたのも、二度、それもつい一箇月ほど前に、はじめて逢つたばかりで、かくべつ深い附合ひがあつたわけではない。
 しかし、織田君の哀しさを、私はたいていの人よりも、はるかに深く感知してゐたつもりであつた。
 はじめて彼と銀座で逢ひ、「なんてまあ哀しい男だらう」と思ひ、私も、つらくてかなはなかつた。彼の行く手には、死の壁以外に何も無いのが、ありありと見える心地がしたからだ。
 こいつは、死ぬ気だ。しかし、おれには、どう仕様もない。先輩らしい忠告なんて、いやらしい偽善だ。ただ、見てゐるより外は無い。
 死ぬ気でものを書きとばしてゐる男。それは、いまのこの時代に、もつともつとたくさんあつて当然のやうに私には感ぜられるのだが、しかし、案外、見当らない。いよいよ、くだらない世の中である。
 世のおとなたちは、織田君の死に就いて、自重が足りなかつたとか何とか、したり顔の批判を與(あた)へるかも知れないが、そんな恥知らずの事はもう言ふな!
 きのふ読んだ辰野氏のセナンクウルの紹介文の中に、次のやうなセナンクウルの言葉が録されてあつた。
「生を棄てて逃げ去るのは罪悪だと人は言ふ。しかし、僕に死を禁ずるその同じ詭弁家が時には僕を死の前にさらしたり、死に赴かせたりするのだ。彼等の考へ出すいろいろな革新は僕の周囲に死の機会を増し、彼等の説くところは僕を死に導き、または彼等の定める法律は僕に死を與(あた)へるのだ。」
 織田君を殺したのは、お前ぢやないか。
 彼のこのたびの急逝は、彼の哀しい最後の抗議の詩であつた。
 織田君! 君は、よくやつた。

「東京新聞」
昭和22年1月13日

織田君
織田作之助
おださくのすけ 1913-1947 昭和前期の作家 大阪生れ。
辰野氏
辰野隆(たつの ゆたか)
1888-1964
東京生まれ。昭和期のフランス文学者 辰野金吾(たつの きんご、1854-1919)明治、大正期の建築家の長男
セナンクウル
セナンクール
Etienne Pivert de Sénancour
1770-1846
パリ生まれ。作家、思想家
セナンクウルの紹介文
「先駆セナンクウル」(『河童随筆』辰野隆 昭和22年 酣灯社)
セナンクウルの言葉
「生を棄てて逃げ去るのは罪悪だと人は言ふ。…」(前掲書 153頁)は、セナンクール著『オーベルマン(Oberman)』(1804)から(市原豊太訳 「オオベルマン 上巻」昭和15年 岩波文庫)の引用

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