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DV男貫一に蹴られるお宮 熱海大湯図 山東京水

熱海3分間観光案内

 熱海について3分間という限られた時間で紹介するとすれば、明治が生んだDV(ドメスティック・バイオレンス)男、尾崎紅葉「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の主人公 彼女を蹴る貫一(貫一の蹴り(キック)は毎年1月17日の『尾崎紅葉祭』で再現される)のことや、ライフガードでサーファー、熱海サンビーチが生んだミュージシャンTORUMANの「SUN BEACH」について案内するのが妥当ではある。
 人によっては、梅園前の交差点から頼朝ラインを熱海自然郷に向かう途中にあるエキゾチックな外観を持つ「岡田さんの家」のことや、過去に自殺の名所だった「錦ヶ浦」のことや噂話を挙げるかもしれないが、一つだけ以下のお話を紹介したい。
 1000メートル以上掘って水さえあれば、どこでも温泉が湧くとか、あれはボイラーで沸かしている地下水だとか、何かを入れて温泉を白濁させていたとか、循環だ、かけ流しだといった話しとは全く無縁なエピソードである。
 熱海は、海に温泉が湧き、海が熱かったことから「熱海」と名づけられたと説明される。
 山東京山(さんとうきょうざん)は、「熱海温泉図彙(あたみおんせんずい)」において文政13(1830)年の日付で由来を以下のとおり説明する。

 そもそも、熱海の温泉は、人王二十五代仁賢天皇の御宇にあたつて、此所の海上に温泉忽然と湧き出でて、烟気海中に上昇り、熱湯に触れて、ただれ死たる魚の類、岸に吹き寄せて、悪臭にたへずして、人跡これがために絶たり。
 星霜を歴て、人王三十九代天智天皇の天平宝字の頃、箱根山に高徳の沙門あり。日々に「方公経」を課事、万巻に至る。故に人よんで、万巻上人という。一年、常場鹿島明神へ参詣の帰るさ、熱海の海上を見渡したるに、濤(なみ)のうちより烟り上昇り、火焔を出だし諸の魚、焦死する事、大灼熱の地獄にことならず。上人これを見てあわれみ給ひ、しばらく佇立て経を課み、念仏を唱へ玉ひし、いづくよりか白髪の翁きたりて上人にむかい、「見給ふごとく、此海中に温泉ありて、熱湯吹出だして、魚類を焦殺す事、われ常にこれをあわれむ。しかのみならず、人の万病を治する不思議の霊湯を海中に在しむるは、玉を淵にしづめておくに等し。なにとぞ仏法の功力を、上人これを祈り、此霊湯を山里に移し玉はば、魚類は死を免れ人民は病を助ん事、その功徳幾万歳に伝ふべし」と云終りて、その形見へずなりぬ。
 上人おもへらく、これ凡人にあらず、薬師如来の告げならんと、斎戒沐浴し、海岸の洞に入り、断食して祈ること三七日、満願の夜、後の山々鳴動し、海上の波濤さかまきて、その音百千の雷(いかづち)の如く、しばらくして海中山上穏やかになりければ、上人岩窟を出でてあたりを見給ふに、後ろなる山の麓に雲の如く上昇るものあり。上人、怪しみつつ其所に至りて見玉ふに、山崩れて、石をあらはし、石の間より、熱湯湧き出づるありさま、神龍口を開て水を吐くが如し。
 さては我が念力の満願して、海中の温泉ここに移りしならんと、上人此所にとどまりて、薬師如来を祈念し「此温泉に功能あらしめて、万民の病苦を助け給へ」と、祈る事一七日にして立去り玉ひね。今に至りて、熱海の里人の大湯と唱るは是なり。天平宝字より、今文政十三年に至りて、凡千百余年の昔より、一日も湯の湧きの絶る事なきは、実に神変不可思議の霊泉也。

 祈りの力で海上から移されたと伝えられた間欠泉は「大湯」と呼ばれ、その湯がダイナミックに噴出する様は長く熱海のシンボルであった。「塩類泉の間欠泉としては世界唯一の珍重すべきもの(静岡民友新聞 大正13(1924)年12月3日)」と言われていたが、大正14(1925)年5月正式にその枯渇が確認された。枯渇の理由は、明治以降の無秩序な掘削による源泉開発にあったと考えられている。大湯跡は、熱海ニューフジヤホテルの横に現存している。また、熱海駅前にある足湯の前には「大湯」のレプリカが軽便鉄道の機関車とともに置かれ今も人工的に湯を噴出させている。
 ニューフジヤホテル横の大湯跡に行ってみるとその寂れ具合に、ここが熱海の名声と富の文字通り源泉であったことを、にわかに信じることはできない。

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