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六白金星

織田作之助

 翌年、楢雄は進級試験に落第した。寿枝の奔走も空しかったわけである。その代り修一は京都の高等学校の入学試験に合格した。圭介は修一の入学宣誓式に京都まで出向いて、上機嫌で帰って来たが、土産物の聖護院の八ツ橋をガツガツ食べている楢雄を見ると、にわかに渋い顔になり改めて楢雄の落第について小言を言った。楢雄は折柄口が一杯になっていたので、暫らくもぐもぐと黙っていたが、やがて呑み込んでしまうと、頭の悪いのは言われなくても自覚しています、自覚していればこそ頑張るだけは頑張っているんです、しかし頭の点は先天的のものでどうにもなりません、考えてみれば、同じ親から生れて兄さんは頭が良くて、僕は悪いというのは遺伝の法則からいってどういうことになるんでしょう、やはり僕を頭の悪い子供に生れさせた原因がほかに介在しているんでしょうか、そういえば、僕の眉毛がレプラのように薄いという事実も何だか不思議ですね。ベラベラと喋り立てると、圭介は、莫迦野郎、生意気を言うな、遺伝とは何だ、原因とは何だ、不思議とは何だ、といきなり楢雄の胸を掴んで庭へ引きずり下すと、松の枝をボキリと折って、圭介の掌と楢雄の顔が両方からボトボトと血が落ちるまで、打って打って打ち続け、停めようとした寿枝まで突き飛ばされ、圭介の折檻はふと狂気じみていた。楢雄は鼻の穴へ紙を詰めると、すぐ家出を考えたが、これは寿枝が停めたので、二階へ上り、ひそかに隠してあった「運勢早見書」を開き、自分の星の六白金星と父の九紫火星とが相性大凶であることを確め何か納得した。ついでに母の四緑木星も六白金星とは合わぬと判った。六白金星一代の運気は、「この年生れの人は、表面は気永のように見えて、その実至って短気にて些細なことにも腹立ち易く、何かと口小言多い故、交際上円満を欠くことがある。親兄弟との緑薄く、早くより他人の中にて苦労する者が多い。また因循の質にてテキパキ物言いの捗らぬ所があるが、生来忍耐力に富み、辛棒強く、一旦こうと思い込んだことはどこまでもやり通し、大器晩成するものなり……」
 一字一句が思い当り、この文章がわずかに楢雄を慰めた。そして一晩掛ってこの文句を覚えることで、父に撲られた口惜しさがまぎれるのだった。
 翌日から楢雄は何思ったのか「将棋の定跡」という本を読み耽った。著者の八段は「運勢早見書」によれば、六白金星で中年を過ぎてから三段になって大器晩成の棋師だということだ。楢雄はその本を学校で読み、雪車の中で読み、家で読み、覚えにくい定跡はカードを作って覚えた。三月掛ってやっと覚えた頃、最中休暇になり、修一が頭髪を伸ばして帰って来ると、楢雄は早速将棋盤を持ち出したが、王手もせぬうちに簡単に負けてしまい、ああ俺はやはりだめだと青くなった。
 修一は毎日海岸へ出て、相変らず女を物色しているらしかったが、楢雄は海水着を着た女は猥せつだから見るのもいやだと言って、一日中部屋に閉じこもり、いよいよ人間嫌いになったのかと寿枝をやきもきさせた。部屋に閉じこもって何をしているのかと、こっそり伺うと、修一が持って帰った「カラマゾフ兄弟」を耽読しているらしかった。楢雄にはその本はばかに難解だったが、しかし楢雄はミーチヤやイワンの父親に対する気持が判ったと思い込み、夜更けに鏡を覗いてみると、表情が何となく凄みを帯びて見えた。眉毛の薄いせいかも知れなかった。それで一層深刻な顔になってやろうと、眼をむき下唇を突き出すと、こんどは実に奇妙な顔になった。しかし別におかしいとも思わなかった。イワンを真似たのっそりした態度がやがて表面(うわべ)に現われて来て、そしてある夜楢雄は砒素を飲んだ。
 うめき声で眼を覚した寿枝が二階へ上って見ると、楢雄は土色の顔へ泡を噴きだしてのた打ちまわっていた。修一は夕方家を出て行ったきり、まだ帰っていなかった。寿枝は楢雄の口へ手を差し込んで吐かせるとあわてて飛びだして近所の医者へかけつけて行ったが、途中でふと気が変り、よその医者に頼めば外聞が悪い結果になると、公衆電話へ飛び込んで、芦屋の圭介の病院へ電話した。芦屋と香櫨園はすぐ近くなのに市外電話になっていて、なかなか掛らず、もどかしかった。圭介はダットサンを自分で運転して来た。それで助かった。吐かせようとして抱きかかえると、ぷんと腋臭めくにおいがしたが、それは永年忘れていたわが子のにおいだった。注射を済ませると、寿枝が絆創膏を貼った。圭介はふと寿枝の顔を見た。寿枝も見た。お互いふと岡山の病院でのことが頭をかすめ、想い出すべき歳月があった。圭介は手を洗いながら、しみじみと楢雄の寝顔を覗きこんだ。眼鏡のない眉毛の薄い顔は、まるでデスマスクのようだったが、しかし生命は取り止めたとしみじみ思った。ところが、机の上にこれ見よと置いてある遺書を開いて読み終った途端、圭介は思わず莫迦と奴鳴った。
 その遺書は右肩下りの下手な字で、おまけに鉛筆で、片仮名を使って書かれてあり、それが文面の効果を一層どぎつくさせていた。
「恋愛ハ神聖ナリ。神ハ実在スルヤ否ヤ。俺ハ結核菌ノ所有者デアルガ、現在ノ父ニモ母ニモ結核菌ハナイ。スルト俺ハ現在ノ父母ノ子デナイトイウ理論ガ成リ立ツ。マタ、俺ノ眉毛ヤ俺ノ皮膚ハレプラニナル可能ガアル。シカルニ現在ノ父母ハレプラデハナイ。俺ハ誰ノ子デアルカ教エテクレ。俺ハコノ疑問ヲ抱イテ死ヌノダ!!
 俺ハ北畠ノ霊媒研究所ヘ行ッテ、十円出シテ霊媒シテ貰ッタ。ソノ結果、俺ハ双生児ノ片割レデアルトイウコトガ判明シタ。モウ一ツノ片割レハ今樺太ノ炭坑ニイルハズダ。
 嘘ノ世ノ中ニハアキアキシタ。俺ハイワンノ如ク永遠ノ謎ヲ抱キナガラ死ヌ。誰モ俺ガ死ンデモ泣クマイ。俺ハ無垢ノ女ヲ凌辱シヨウトシタノダ!!」
 圭介は近頃興奮するとくらくらと眩暈がし、頭の中がじーんと鳴るので、なるべく物事に臨んで冷静に構える必要があった。だから、こんな莫迦げた妄想を起す奴を相手に興奮してはつまらぬと、煙草を吸いかけたが、手がふるえた。寿枝はおろおろして燐寸をつけた。その瞬間、二人ははっと顔をそむけた。寿枝の眉間には深い皺が出来、母性を疑われた不快さがぐっと来たのだった。そして何ということもなしに修一のことが頼もしく想い出された、しかし修一はどこをうろついているのか、夜が更けているというのに、まだ帰っていなかった。

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