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『書は美術ならず』の論を読む

岡倉天心

 我東洋學藝雑誌を閲するに、小山正太郎氏の『書は美術ならず』の論を載す。そもそも美術の真理を考究する者、古来欧洲に於ても甚だ稀なりとす。殊に東洋に在りては、古詩人も『想到空靈筆有神、毎従遊戯得天眞笑他正色談風雅、戎服朝冠對美人。』と謂へる如く、美術は理を以て推す可からずと想像し、唯慣習又は臆測を以て之を是非するの弊なきに非ず。今小山氏獨り慣習を破り、臆測を離れ、書は美術ならずと断言し、大に世上の妄想を打破せりといえども、惜いかな、其論拠とする所強固ならず。此を以て、書の美術に非ざる所以(ゆえん)を証明する能はざるなり。是余の最も慨歎に堪へずして、いささかここに論弁することある所以なり。

 小山氏の論、第八、第九、第十の三号に跨るといえども、今其論旨を約言せば、左の四点に帰せん。

 (一)世上、書を美術とするの諸説は信ずべからず。
 (二)書は美術となすべき部分を有せず。
 (三)書は美術の作用をなさず。
 (四)書は美術として勧奨すべからず。

 請う、逐次其論点の当否を論ぜん。小山氏が先づ駁撃の勇を試みたるは、則ち世上一般に書を美術とするの諸説なり。余は勿論、世上の妄説の為に答弁するの責に任ぜずといえども、駁議中、往々当を得ざる所あるに似たり。こふ、一二の例を挙げん。
 小山氏、『本邦の者は欧洲蟹行文と異なり、美術と云ふべし。』の説を駁して曰く、『書は固と言語の符号にして、他に作用あるに非ず。(略)其主旨たる、唯だ意を通ずるに在るのみ。書にして誤りなく意を通ずるを得ば、則ち書の職分畢れり。又他を間ふを要せざるなり。然らば則ち蟹行と云ひ鳥跡と云ふとも、其主旨職分に至りては毫末も異なることなき也。』と。其論の帰着する所は西洋に於て書を美術とせざるに、我書西洋の書に異なる性質なくして、特別に美術とするの理(ことわり)なしと云ふに過ぎず。然れば、我書西洋の書に異なる性質ある所以を論定せば、他の論点随って明白ならん。夫れ美術の名は、実用技術(useful arts)に對して下したるものなれば、其主旨とする所大に異なるといえども、実用技術の中にて美術の域に入るものあり。例へば彼の建築術(architecture)の如き、始めよりして美術とすべきに非ず。彼の野蛮人の建つる小屋といえども、風雨寒暑を防ぐに足らば、素より其職分を盡せりといえども、未だ美術の区域に入るべからず。世人の美術を以て許せる建築術は、内質の堅固と共に、外貌の美麗を索むる術なり。風雨寒暑を防ぐの外、更に他に索むる所あるなり。若し家を建つるの術を以て、悉皆美術なりとせば、誰か之を正論なりと謂はん。書は固と言語の符号なり。書を作るは実用技術なり。苟(いやしく)も字体を成せば、其職分畢れり。猶小屋にして、風雨寒暑を防ぐが如し。然れども、我書に索むる所は、啻(ただ)に字体を成すに止まらざるなり。我書は勉めて前後の体勢を考へ、各自の結構を鑑み、練磨考究して美術の域に達するものにして、欧洲人の唯だ意を通ずるを以て足れりとするに此すれば、大に異なる所あり。按ずるに、中古欧洲に於て、學事専ら僧侶に帰し、平人にして書を読み字を作ることは却って恥とせり。故に英國の貴族中、自からマグナカルタに記名し得る者、甚だ稀なりしと云ふ。爾来文運は日を追うて進むといえども、能書を貴ぶの風なく、随って書法を考究する者絶えてあらざるなり。支那は之に反し、書を文藝の上に置き、盛に之を勧奨す。朱新仲が猗覚寮雑記にも、『唐百官志、有書學一途、其詮人亦以身言書判、故唐人無不善書者。』とあり。当時人々競うて書法を考究せしこと知るべし。世伝ふ鍾ヨウの蔡邑の書法を韋誕に求め、誕の伝へざるを憤り、胸を槌ち血を嘔き、殆ど死す。後、誕の塚を發(あば)き、蔡邑の法を得て日夜攻學し、臥すれば則ち手を以て被に画き、被之が為めに穿つと。山陰父子以下、欧?虞師の徒に至るまで、各々工夫を費し機軸を出す、其苦辛未だ鍾ヨウに譲らず。彼皆小山氏の説の如く、書は唯意を通ずるを以て足れりとせずして、字体をなすの外、別に索むる所あるなり。故に曰く、我書は西洋の書に異なる性質ありと。抑も東洋開化は西洋開化と全く異なれば、則ち美術の如き人民の嗜好に因って支配さるゝものにして、此の如き差異あるは怪しむに足らざるなり。
 小山氏又、『本邦の書は、人々之を愛翫するに因って美術なり。』と云ふ説を駁して曰く、『本邦人の書を愛翫するや、真に書を愛翫する如くなれども、詳かに之を究むれば、実は書のみを愛翫するに非ざるなり。故に其愛翫する所以を分解すれば、則ち人々同じからず。或は語句の己の意に適するよりして之を愛し、或は其人を慕ふの余り、手蹟の存する所として之を愛し、或は古物として之を愛し、或は奇品として之を愛し、或は慣習に由って之を愛し、或は雷同して之を愛し、或は就て學ばん為め、模範として之を愛す、云々。』然れども、絵画音楽其他の美術に於ても、一般に此弊なきに非ず。例へば僧侶にして佛画を愛し、旧弊家にして七福人の画を愛し、官軍にして朝敵征伐の歌を愛し、(以上三者の愛は、自身の意に適するを以てなり。)某天子の御製を愛し、何大師自作の肖像を愛し、(以上は其人を慕ふの余り、其遺蹟を愛するなり。)古物家にして天竺佛を愛し、(古物として愛するなり。)古法眼の脱ケ雀(ぬけがら)を愛し、都良香が羅城門の聯を愛し、(奇品として愛するなり。)趣味を解せざる人にして画を座間に掛け、意義を知らざる者にして唐詩選を暗誦し、(慣習に由て愛するなり。)画は必ず文人画を貴び、粗悪なれども風韻ありとし、詩は多く綺語を交へ、骨カなきといえども風雅に近しとす。(雷同して愛するなり。)由是観之ば、小山氏の所謂、書を愛せずして他を愛するの弊は、濁り書に限らず、他の美術も皆此弊あり。是識者の許せる所なり。濁り書のみを責めば、到底不公平たるを免かれざるなり。 小山氏又、『本邦の書は、人心を感動するによりて美術なり。』と云ふ説を駁して曰く、『如何に巧なる書なりとも、不通の誤りを記せば人心を感ずるなく、拙き書なりとも、名文名句を記せば人心を感ずるや必せり』と。鳴呼是何の言ぞや。抑も詩文に感ずるの情は、大いに書に感ずるの情に異なり、之を混同すべからず。例へば李太白の詩を張旭に写さしめば、人之に對して二様の感覚を起すべし。一には詩仙の詩、豪邁快活なるを愛し、(此時、詩を見て、書を見ずと云ふも可なり。)二には草聖の書、奔放駭逸なるを愛さん。(此時、書を見て、詩を見ずと云ふも可なり。)若し小山氏の謂ふ如くなれば、世は唯ゝ李杜韓柳あるのみ。龍の天門に跳り、虎の鳳閣に臥する如き妙書なりといえども、人之に感ずること決して非ざるべし。

 以上陳述する所は、小山氏が世間の諸説を駁撃したる中に、其不適当なるを弁論せしものなるが、今一歩を進め、第二の論点に入らんとす。即ち書は果して美術となすべき部分あるや否や、を論究せんと欲するなり。
 小山氏曰く、『書は言語の符号を記するの術にして、図画の如く濃淡を着けず、彫刻の如く凹凸を作らず。要するに、各色の照映等を熟考して人目を娯ましめんと、工夫を凝らすの術にあらざるなり。獨り彩色を使用するの巧拙のみならず、其形も亦各人各自の才力に由って之れを作り出すものにあらず』と。今此論を考ふるに彫刻及び図画の外、別に美術たるべきものなきが如くに思はる。則ち『書は美術ならず』と云ふにあらずして、『書は図画ならず、書は彫刻ならず』と云ふに過ぎざるものなり。蓋し美術の名目たる、其区域甚だ廣く、高きは音楽、詩歌、彫像、図画、建築より、低きは彫刻、陶器、指物に至る。此等の諸術、皆各白獨特の性質を有し、殊に音楽は鳥聲に擬せず、人語に傚はず、図画彫刻の如く外物に依りて感情を起さず、専ら思想上の快楽を興ふるを以て、識者は之を美術の第一位に置けり。此に由って之を観れば、図画の如く彩色を要せず、彫刻の如く凹凸を作らずといえども、敢へて美術たるに妨げなきのみならず、却って図画彫刻より高尚の位置を占むるものあり。故に、書の彩色を施さず、凹凸を作らざるを以て、美術に非ずとなすべからざるなり。
 小山氏の言によれば、『文字の形体は、決して各人各自の才力に由って之れを作り出すものにあらず、故に書は美術ならず』と。是れ亦正当の論にあらず。見よ、図画彫像其他のものに於ける猶かくの如きことあり。ここに長身赧面、美髯の臍に達し、右手に青龍刀を提げ、左手に左史伝を持するの図あらば、問はずして其関雲長たるを知るべし。是れ身の長、面の赧、髯の美等が、関羽をして関羽たらしむるものにして、則ち雲長已定の形なりと云ふべし。若し頭は禿ろにして、龍刀左伝を提携せず、亦一褸の髯なくして、唯だに侏儒の像を画かば、決して寿陽侯たるを弁知すべからざるべし。然りといえども、関羽の像を画く時、或は怒らしめ、或は笑はしめ、以て人目を娯しましめんと謀るは、画家の本分にして、其優劣は喜怒哀楽の情を表するの巧拙に由って定まり決して関羽の新形を作るの巧拙に関せざるなり。書の如きも、亦然り。字体は既に定まりて、毫も変化すべからずといえども、真行草の三体中、飛燕の痩せたる、玉環の肥えたる、驚蛇草に入るが如く、舞燕池を掠むるに似て、神工鬼斧の妙を具へ、姻霏霧結の神を含み、其変化たる実に名状すべからず。固より字をして怒らしめ、字をして笑はしむる能はざるに至っては、やや図画に異なるといえども、前後の体勢を比し、各自の結構を考へ、以て人目を娯しましめんと欲するの目的に至っては、則ち図画其他の美術と同一なるものと云ふべし。古人の句に、『終日有書案』と。是以て書家の字体を練磨し、書法を考究するに力めたるを証すべし。
 小山氏は、『書を美術とせば、泥工の壁を塗り、灯燈匠の紋形を画くことをも、美術とせざるべからず。』と云ふが如くなれども、泥工の壁を塗るは風雨の浸入を防ぐが為なり、灯燈匠の紋形を画くは、暗夜にして能く人の誰たるを弁ずるの道具にして、其目的たる決して人目を娯しましむるに足るものに非ず。故に書とは固より非常の差異あるなり。然れども、若し泥工が壁を塗るに風雨浸入を防ぐの外、大いに各色の照映を考へ、其室の模様に従って之れを塗るが如きことあらば、亦装飾術の一部となすも、敢へて不可なきものなり。

 是より第三の論点に進み、『書は美術の作用をなさず。』とするの説に就て、当否を判ぜんとす。余は既に第十二号に於て、小山氏の『書は美術となすべき部分を有せず。』とする論を駁したる時氏は、『書は唯だ図画に非ず、彫刻に非ず。』と云ふに過ぎずして、本論には毫末の関係なきを歎ぜり。今又此に至って、同様の歎息を発せざるを得ざるなり。要するに、氏は先づ一般の美術の含有すべき性質を示定せずして、『書は絵画彫刻の有せる部分なきを以て、美術ならず』とし、又一般の美術には如何なる作用あるべきやを論定せずして、『書は絵画の作用なきを以て、美術ならず』と云ふ。何ぞ顧みざるの甚しきや。仮ひ書を作るは、美術中最も画を作るに近しといえども、其目的方法の隔絶せる所を察せず、猥りに画の用を書に求むるは、豈公平の論ならんや。試に見よ、彼の彫像術と彫刻術との間に於て、同じく鑿(のみ)を以て石を刻むの術たりといえども、其目的方法各異なり彫像家の妙とする所は必ずしも彫刻家の妙とする所に非ず、彫刻家の短とする所は必ずしも彫像家の短とする所に非ず。若し夫れ彫刻にして彫像の作用をなす能はざるを笑はゞ、梅花にして牡丹の作用をなす能はざるを笑ふに均しからんのみ。然り而して小山氏の、絵画の作用(他に美術の作用を明言せざれば、之を美術の作用と看做すも可ならん。)として掲出したる作用は、之を美術純正の作用、絵画純正の作用となすに足らざるに似たり。氏の絵画の作用となすは、風教を助け、或は言語の及ばざる所を補ふに在りといえども、第一、絵画にして風教を助くるは、固より偶然に出て、本分の作用となすべからず。夫れ画家の筆を啜り紙に臨むに当り、豈其画を以て風俗を改良するの目的あらんや。彼れ胸中一塊の美術思想ありで、之を筆鋒に訴ふるのみ。故に其画にして、能く画家の思想を表出し、看者をして之を会得せしむるに足らば、画の作用既に盡きたり。看者にして善心を生じ悪念を起すや否やを議するが如きは、画の美術たるを忘れたるなり。此を以て、風教を害する絵画といえども、美術上よりは必ずしも之を咎めざるなり。(高尚なる美術思想は、常に高尚なる道徳思想に伴ふといえども、主客の分判明せり。)
 小山氏の、次に繪畫の作用となす所は、言語の及ばざる所を補ふに在りといえども、只今陳じたる如く、之も本分の作用に非ずして、諸般の実用技術も亦同一の作用あるは、理の見易きものなり。概するに、小山氏の『絵画の作用なり』と云ふものは、純正の美術上の作用に非ざれば、実用技術を以て之に代ふるも、更に妨なきが如し。今其一二例を挙げんに、彼の所謂『泉下慈親の容貌を坐右に置て、敬慕の情を保続せしめ、臥して海外萬里の名山勝地に漫遊せしめ、云々』の如き、又『古今の風俗を一日間に歴観せしめ、各地の風景を一室内に集覧せしめ、滄溟深淵の妖魚毒蟲深山幽谷の猛獣怪禽を、眼前に於て徐ろに観察せしめ、云々』の如きは、皆写真を以て十分に其作用を盡すを得べし、豈美術本分の作用ならんや。

 以上論弁する所にて、第三論点を結了し、小山氏は『書の美術ならざる』を証明する能はざるを論述せり。以下は、書を勧奨するの利害得失に係り、多くは政略上の論に属するを以て、此に筆を擱(お)かんと欲す。然れども、小山氏は美術の利益を一般の工藝に比し、『書は高価を以て海外に輸出する能はず。』又『工藝を進むるの基と為って、百般の事業振起』するの幇助たらざるを以て、之を無用のものなりと断定せり。余読んで此に至り、慄然として言ふに堪へざるものあり。鳴呼西洋開化は利慾の開化なり。利慾の開化は道徳の心を損じ、風雅の情を破り、人身をして唯一箇の射利器械たらしむ。貧者は益々貧しく、富人は益々富み、一般の幸福を増加する能はざるなり。此時に当り計をなすに、美術思想を流布し、卑賤高尚の別なく天地萬物の美質を玩味し、日用の小品に至るまで、思想を歓悟するの具に供せしむるに若くはなし。美術を論ずるに金銭の得失を以てせば、大いに其方向を誤り、品位を卑くし、美術の美術たる所以を失はしむるものあり豈戒めざるべけんや。
 書は果して美術なるや否は、後日を待て之を論ぜんとす。知らず、小山氏は、『二十年』を隔て如何なる感覚あるべきか。ここに論を結ぶに当り、悪詩一首を以て妄評の罪を謝す。

 寄小山氏

一向騒壇角後先、自今何用更揚鞭、笑而無語却招罵、言者不知真可憐、雁字書空元是影、鶯梭觸柳豈非縁、予期樽酒来談旧、白髪飄蕭二十年。

竹酔子云。雁字書空、影而非影、鶯梭觸柳、無縁而有縁、彼弁美術談工藝者、固是君子之争也。為眞理攻究眞理、何嫌更揚鞭中。他年両氏話旧之日、幸分樽酒一杯否。呵。

「東洋学藝雑誌」
第11、12、15号
明治15年8月25日、9月25日、12月25日

署名 文学士岡倉覚三

※本文中には、不快用語が含まれるが、本文の主題は別にあり、その理解のためにこれを残した。

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