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芥川龍之介の俳句

岡本かの子

 アンドレ・ジイドは、自己の小説を大別して、心理解剖の作品、理智的諷刺の作品、及び二者綜合のものと、三つに分けていて、そして、彼に於ては第一のものがすべての作品の基調になっていることは、誰でも気付くところである。
 芥川龍之介氏の作品は、随筆を中心に発展している。この随筆といふことは、幅も高さも広さもあるそれを指すので、今、ここで委しく闡明(せんめい)している紙幅はないが、兎に角、氏の天稟に、随筆が持つ叡智性、趣味性、簡潔性と多少の諷刺性、達人風のところが結びついた素質があって、おのづから傾向を来たした。氏の小説に、随筆風のところが多分にあると同時に、氏の批評、小論文、随筆に、却って小説の分子がある。これは、この種の文人によく見る特徴である。
 随筆風の文人の殊に芥川氏のやうな東洋的、日本的、また詩的の伝統を愛重する芸術家にして、俳句を見逃すわけはない。日本の詩の中では、和歌はロマンに近く、俳句はエッセイに近い。これは厳密な意味でいふのではなく、やはり大体論であるが、しかし、この比喩関係を反対にしていふときは、甚だ矛盾を感ずる。してみれば、しばらく、かくもいへるとおもふ。ここに於て氏が短歌よりも氏に近い俳句に傾いた意味も、だいぶ判って来るやうに思へる。
 事実、氏の短歌は、俳句に較べて、甚だ劣っている。措辞も窮屈なれば調べも流暢でない。技巧の関門でまづ多く費し、折角のこころを搬び出す玄室にまで到っていない。芥川全集に載っているものだけ数へても俳句に較べると、数はずっと少ない。歌に較べると、俳句はすでに玄人の域へは入っている。いはゆる芭蕉の不易流行の不易を内容的心的境涯とし、流行を表現形式の手段とすれば、流行は既に手に入り、ひたすら不易に於ける幽処の到達に腐心している。
 これは、氏の文学研究中に、俳句研究が相当重要の位置を占め、両者交易の滋味が、かなり濃厚に伝はつたに相違ない。氏は、几董句稿第二篇続晋瀬集の序文を頼まれた中にかう書いてゐる。
「僕等俳諧を愛し俳諧を作るものとしては-」
 これはこの詩形を等閑に観ている人の言ではない。氏の如く言質を重んずる文人として少くとも、この詩形に自信を持ち、責任も持ったところの言である。
 氏の俳句研究は、どの随筆かでいっているやうに、俳人なる人物に小説作家として興味を持つことが一番であるかも知れないが「発句私見」を書き「芭蕉雑記」を書き、句集の序、または随筆中、種々この詩形を認むることのすこぶる顕著であるのを見る。「俳句私見」では、現代人の俳句は、季題の拘束から解放を慫慂(しょうよう)する以外、詩形としては、十七音を原則とすべく、また調べを重んじ、この点では、現代人は元禄の古人に若かずとまでの批判を与へてゐる。そして、たとへ、季題の拘束を脱するにしても、詩語として、季題に馴染んで使用され来つた言葉は充分に採用すべきことを人々に再慂している。このあたり、明かに伝統を重んずる新古典派の俳家である。
「芭蕉雑記」に至っては、芭蕉の矛盾性の解釈、多様性の指摘、時代性の把握等、芭蕉その人の性格解剖に入り込んでゐる傍、俳句の音楽的、絵画的の効果の方面などにも論を分っていて、我鬼窟主人の俳句観を観るに足るものがある。この雑記に於ては、氏は芭蕉中心の元禄尊重である。
 さて、私は、さういふ芥川氏が、句作の実例を味験する順序になったが、これに就ても紙幅の都合上、ごく大まかに拾ってみよう。

  蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

  木がらしや東京の日のありどころ

  暖かや蕊に蝋塗る造り花

  癆咳の頻美しや冬帽子

  薄曇る水動かずよ芹の中

  木がらしや目刺子にのこる海のいろ

  初秋の蝗(いなご)つかめば柔かき

 氏の和漢洋の造詣から打発された文学的性格には三つのものがある。和よりしては纖鋭美と、寂寞の美、漢よりしては茫濛と怪獪。洋よりしては、いはゆる世紀末的廃頽と自我の悩み。この三つのものが、氏の芸術至上主義(氏はフローベルの芸術至上を苦笑しているが、しかし、氏自身、芸術至上主義でないとは云へない)となって、あらゆる作品に配在しているが、俳句に於ては、日本趣味の纖鋭の美が勝っている。これは従前説くところの氏の伝統主義から来ているものであるが、しかし、それを更に新様にして現代化するものは、他の漢洋二方面の影響である。なかにも私は右に掲げた数句に於て、特に西欧風の感触が含まれているやうに思ふ。

   自嘲
  水弗や鼻の先だけ暮れ残る

 氏は、小説に於ては、支那や日本の題材を捉へながら内容では西欧風の近代的アンニュイと、自我の悩みとアイロニーを強く出している。しかし、俳句となると、露骨にそれを出しているのはこの一句だけだといへよう。恐らくこれは、やはり氏が随筆的文人でありながら小説中心の文学念願の作家であり、いかに俳句を厳粛に尊重するにしても、これを句案する場合には、おのづと詩に向ふ楽しさと趣味性が湧き出でたためであらうか。従って句々に、感覚から入る実感を再現するのに鮮なものがある。
 自然の観察から写実そのもので味を出しているのは

  木の枝の瓦にさはる暑さかな

  野茨にからまる萩のさかりかな

  桐の葉は枝の向き向き枯れにけり

  蒲の穂はなびきそめつつ蓮の花

 季題趣味(A)、または、俳句的に心境仮託の(B)句ばかりある。一つづつだけ挙げててみる。

  しぐるるや堀江の茶屋の客ひとり(A)

  庭土に皐月の蝿の親しさよ(B)

 調べのよろしきもの

  明星の銚(ちろり)にひびけほととぎす

 凝ったものには、

   夏目先生のカリカチュアに
  餅花を今戸の猫にささげばや

 終りに、氏の句に就ての綜括の感じを述べよう。
 氏の俳句は案外正風で、一々実があって普遍性を持っている。読んで損をしたと思ふやうなのは一句もない。いかなる幽趣のものでも、優等生型の明晰さで、読者は表現から内容へ導かれて行くのにたいして困難はない。その意味で氏が元禄より低しとする天明調に通ずる。けれども、果して氏自身はこれに満足してゐたであらうか。
 すべて詩の上乗なるものには、理路不到、言詮不入のものが靉靆(あいたい)としていなければならない。
 氏が俳句を語るに当りとかく芭蕉の寂びを気にし、芭蕉の衣鉢が丈草に伝はつたことなど論じているあたり、この才人が那箇に対して憧憬の現れではないだらうか。しばらく結語を避けてここでは疑って置くにとどめる。

「池に向ひて」
昭和15年 古今書院

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