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十歳以前に読んだ本

坪内逍遥

 私は過去を語るのが強ち嫌いという訳でもないが、前へ向ってする仕事が比較的忙しかったので、かつて昔話をしたことが無い、したがって古い事はずんずん忘れてしまった。そうでなくても、地体が記憶力の弱いほうで、忘れる事につけては名人なのだから、ここにこういう題を掲げて見たものの、ねっから何も思い出せない。併し、若しその忘れっぽい私ですら、今なお覚えているという、十歳以前の熟読書といったようなものがあったら、それは何等かの意味で注意するに足ることかも知れない。
 私は十歳以前は、美濃の太田という尾張藩の代官所で育った。その頃はちょうど維新の真最中でもあり、十人の同胞中の一番末の子であって比較的甘く育てられて怠け者でもあり、処は田舎でもあり、かたがたで、十一歳の年に名古屋へ移住したまでは、殆ど何等の規則立った教育というものは受けたことが無かった。寺子屋へ通ったのさえも、名古屋へ移ってからのことである。習字や素読さへも、最初は兄に、後には姉婿に教わったのみであるから、教えるほうも不規則、習うほうは尚の事、互いに気儘や我儘が勝つので、厳しく叱られて泣面になったことの多い割合には、習うことが身に沁みず、ただぶらぶらと月日を過し、ひまさへあればたわいもない、くだらん本ばかり読み耽っていたものである。併し今になって考えると、其頃目に触れたくだらない本が、今なおかすかに幾らかの印象を残しているのみでなく、私の過去数十年間の仕事に、自分では心付かなかったけれども、始終何等かの影響を及ぼしていたように思われるから、おそろしい。
 その頃目に触れた本で、今尚おぼえているのは、第一に『実語経』、『孝経』、『大学』、『論語』、無論、これらは厭々素読を教わったばかりだが、何百度と読まされたので、文句には今なお微かにその頃の記憶が残り、『実語経』だけは粗ぼ(ほぼ)意味も解していたと思う。それから『百人一首』。これは古風な大形本で、画は西川派風であったと記憶する。多分五六歳頃の最愛玩書であったろう。山辺の赤人でも、柿本の人丸でも、坊さんでも、女でも、その頃は目か鼻か口元か烏帽子の尖か衣裳の端かを見せられれば、直ちにその名を指し得る程に目覚えがあった。次は英泉、北斎、その他の漫画本。要するに、読むよりも見るほうが好き、目で見たことはよく覚えるが、単に耳から注込まれた事は容易に呑込まね鈍根、もしくは気の散る性質であった。
 まじめな読書は嫌いであったが、草双紙は七歳頃から読みはじめた。それ以前は母や兄に絵解きを聴くのが日課のようになっていた。自身で読んだ最初の小説は、今表題は忘れたが、松亭金水(しょうていきんすい)作の稗史(よみほん・読本)である。草双紙ではない。「釈迦八相(しゃかはっそう)」の翻案、中本仕立の読み本である。挿絵などもなお目のこっている。悉達(しった)太子と提婆とが武芸争いをする条を読んだのが、全く初読である。それが皮切で、それからは手当り放題に色々なのを読んだが、最も愛読したのは、魯文かだれかが中本式の読本に縮めた『八犬伝』であったかと思う。『児雷也豪傑譚』なども美濃にいるうちからの知己であった。七代目団十郎や五代目瀬川菊之丞や五代目半四郎や鼻高の幸四郎なども、どういふ履歴の俳優だか、そんな事は知らなかったが、その面付きだけは、種々の草双紙の画面に依って、名古屋の姉婿や叔父、叔母以上によく覚え込んでいたのであった。
 演劇に関する知識は、主として名古屋へ移ってから得たのであるが、謡曲は父や兄が口ずさむので、多少耳に染みていた上に、八九歳の頃、教裸の一部として、強迫的に課せられて、ほんの小謡いの幾番と「猩々(しょうじょう)」、「橋弁慶」位を習った。兄が師匠番である。それも度々読んだ書の一種かと思う。ところが、この謡いといふものが、いやでいやでたまらず、おまけに不器用で、覚えないと、手ひどく叱られる。細い鞭で見台の端をピシリピシリとやられるたびに慄えあがったことは今に忘れない。そのお庇か、「猩々」の文句一二ヶ所は今でも微かに節をおぼえているからおかしい。無論、その後はかつて習ったことは無いのだが。
 以上話した外には、その頃読んだ本で、自然に思い出されるのはまず無い。しかもこの貧しい貧しい幼時の読書が、要するに、今の私の全く知識の萌芽でもあり、全く仕事の符号(シンボル)でもある。その後四十余年年間、依然たる読事嫌いであったに拘らず、時と場合によっては、拠り所なく何くれとなく一通りは内外の書物をも読んだものの、とうとう学者にはならずじまいである。最初は怪しい小説家、それから英文学の教師、それから中学校の倫理坦当、それから演劇改良、脚本作家。それから、日本の新楽劇振興案。つまり、種は十歳以前に蒔かれてしまったのである。運命が定(きま)ってしまったのである。三つ子の魂百までだと思うとあさましい。つくづく幼時の修養のゆるがせにしがたいことを今更のように悟る。今の少年たちは、私に比べると、ずっと幸福な時代、幸福な境遇に生れているのである。また今の十歳は、私共の十歳よりはずっと怜悧であると思う。私はどの位損をしたか解らない。幼時の読み物が是れほどに後々まで影響するものと悟ったなら、私はもっと真面目に勉強するのであった。少年諸君よ、四十余年の後に私と同じような事を言わぬように、とっくりと考えて勉強なさい。

(明治四十五年六月、『少年世界』の為に。)

七代目団十郎
市川団十郎(七世)いちかわだんじゅうろう 1791〜1859
市川宗家。江戸後期の歌舞伎俳優。七世団十郎は歌舞伎十八番を制定。
五代目瀬川菊之丞
瀬川菊之丞(五世)せがわきくのじょう 1802〜1832
江戸後期の歌舞伎俳優。
鼻高の幸四郎
松本幸四郎(五世)まつもとこうしろう 1764〜1838
江戸後期の歌舞伎俳優。「鼻高幸四郎」と呼ばれた。

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