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義太夫は改良すべからず

坪内逍遥

 拝啓。先日の御稿に対し、何か相認可と御約束申置きながら、つい延引、失礼仕候。さて表立って批評致そうと存候へば、とかく何か文飾が加えたくなり、妙でないように存候故、過日席上にて申述候通りを、改めて左に書き流し申候。劇に縁深き小生は、義太夫にも縁が深かるべき筈に候へども、どういふ訳か小生は義太夫というものを好き申さず。(或いは余り上手でないのを青年時代に割合に多く聴いたせいかとも存候。)したがってこの曲に対しては全くの門外漢も同然に候処、世間にはそう思わぬ人もありと相見え、小生が文芸に関係を有し居候過去三十年の間に、随分種々の人に訪問せられ、種々の義太夫論を聴かされ申候。改良論や振興策等もいろいろ承り候ひしが、何れも言わば月並の論にて、此度の御論程の屹と急処に中ったのには、未だ一度も出逢い申さず候ひき。今まで聴き候は、概して道楽七分の論、貴君のは真剣と存候。些も浮佻の気なく、徹頭徹尾、真面目にこの曲の為にこの曲を愛惜せられ候が嬉しく候。次ぎに在来の義太夫讃歎者流のように改良論を唱へられぬ処が有難く候。卑見によれば、この曲に限らず、総じて芸術品は(よしや時勢が移り変ればとて)決して改良すべきものにはあらずと存候。古いままが最善にして最美ならざるべからず。保存はすとも、修復はすとも、改良したり刷新したりすべきものにはあらずと存候。古い仏画が剥落したからとて、舶来の絵の具では塗られまじく候。浮世絵の遊女絵が外国人に見せにくいからとて、束髪の令嬢に書き直すことは出来ぬ筈に候。義太夫を愛重するならば、あのままが善い道理、貴君が一言も俗に謂う改良に言い及ばれざるは、真の義太夫通たるの明証と敬服仕候。次に最も感服致候は、御自身で演ぜられぬ事に候。按ふに洵に芸術を尊重する者は、その芸術を神聖視する人なるべく、既に神聖視する以上は、到底それを玩具扱いには出来ぬ筈と存候。苦しみづから学ばば、他の業務を抛ちてかかり、詣り究めざれは止まじといふ決心を以て之に臨むか、然らざれば、其のいよいよ遠く、いよいよ高く、いよいよ深くして、到底及びがたきに想到して、全くその志を絶つか、そののいずれかでなくては嘘と存候。所謂素人芸に止まりて得意げなるは、道楽気が勝つ故なるべく候。而して道楽気の勝つ人は、真の芸術の愛護者とは存ぜられず候。みづから御演じなきによりて、如何にこの曲を愛重せらるることの探きかを相察し申候。
 団十郎や菊五郎の身振、假声にて素人芝居を催す人などに、劇の真の愛護者は殆ど絶えて無き例に候。義太夫界の事は知らず候へども、他の芸界にありては、素人輩出は往々にして贋造品の濫造に比すべき場合もあり、趣味性の堕落に媒すること無きを保せず候。
 之を要するに、義太夫の将来に対しては、一に保存策の外はあるべからす。但しかつて舞踊劇を論じ候際にも申せし如く、凡そ或一物を保存せんと欲すれば、単に保存といふことの以外に、何等か新しき発展の法を講ぜざるを得ざる習いと存候へば、此際何とかして義太夫を(現代の需要に応じて)利用するの策を御案出なくては叶う可らずと存候。例えば、文楽座の如き操り劇を、更に古拙簡樸の大昔に退歩させて、言わば「能」と同じ格の古芸術とし、依りて以て更に広く利用し得らるものとするか、或いは古きは古き曲のままに保存すると同時に(小生がかつて『新楽劇論』にて唱へたりし如く)、新舞踊劇なぞの一節として利用する為に、全く新しき節調を工夫せしむるか、何等かの御考案なかるべからずと存候。これは改良にはあらず、全くの創始に候。御混同下されまじく候。小生は能楽に対しても之と同様の策を献じ試み候事有之候。今日のままにて押し行く時は、この曲は彼の「忠臣蔵」や「先代萩」の劇と同じく、次第に理屈を加味せられ、写実脈を加えられ、おいおい現代化され、日本画のような、油絵のような、えたいの解らぬものと成り果つるおそれあるべく候。此の辺の高見も追々御漏し下被度候。先づは取急ぎ当座の所見のみを申上候。早々不具。

『義太夫新論』 序
副島八十六著 大正三年七月

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