サイト内検索

うめさおさんのひらかなタイプライター

Microsoft Bluetooth Mobile Keyboard 6000

 西洋人は、手紙でも何でもタイプライターでたたいてしまうから、個性もへったくれもない。さっぱりしたものだ。わたしたちも、ああいうぐあいにゆかないものかな、とかんがえた。手紙でもなんでも、字をかくかわりに機械をたたくのである。ペンのかわりに、タイプライターをつかうのである。日本語も、そういうことができないであろうか。
 ふつうは、タイプライターという機械は、事務能率という点だけからかんがえられることがおおいが、もうすこし別な、美学的な問題としてとらえるというアプローチもあったのである。わたしの場合はそれだった。(124ページ)
 さきに、タイプライターに対する美学的アプローチということをのべたが、もちろん、能率が問題にならないわけではない。手がきよりはやい、ということもたいせつだが、それとともに、タイプライターがきは、らくだ、ということがある。手がきというのは、じつは手でかいているのではなく、全身でかいているのである。身心ともにひじょうな緊張を必要とする。それにくらべると、タイプライターこそは、ほんとに指さきの労働だけで、はるかにらくなのだ。電動タイプライターとなると、いっそうつかれがすくなく、しかもうつくしい。
 諸外国では、たいていタイプライターをつかって、能率をあげている。日本のような高度文明国が、字をかくという一点に関してだけ、手がきという、むかしからかわらない原始的なやりかたでとおしているというのは、まったくふしぎなことである。さまざまな文書整理法や、事務能率の増進法をかんがえ、実施しても、この、字をかくことのめんどうさがのりこえられなければ、問題は解決したことにならないのではないか。知的生産のおおくのものは、けっきょくは字をかくという作業を、そのもっとも重要な要素としてふくんでいることがおおいが、それをかんがえると、日本語をタイプライターにのせるというのは、日本における知的生産の技術としては、もっともたいせつな問題であるといわなければならない。(125ページ)

『知的生産の技術』梅棹忠夫 

 うめさおさんは、高校生のころにはすでに自分専用の英文タイプライターをもっていた。英語とドイツ語用に使っていたそのタイプライターで、ローマ字書きの日本語を打ちはじめ、 ローマ字書きの『Saiensu』(science サイエンス 科学)という学術雑誌の発行にも関わった。そして、うめさおさんは、手紙をすべてタイプライターでうちローマ字書き日本語の文面で送っていた。うめさおさんの手紙を受け取った人の反応はさまざまだった。「こんなよみにくい手紙二どとくれるな」と文句をいう人もいた。

 走れメロス(太宰治) ローマ字書きの例

Hashire Merosu
Merosu ha gekido shita. Kanarazu,kano jachibougyaku no ou o nozokanakerebanaranu to ketsuishita. Merosu niha seiji ga wakaranu. Merosu ha mura no makibito de aru. Fue o fuki, hitsuji to asonde kurashitekita.

Jissai ni yondemite,donna kansou o motsu darouka?( 実際に読んでみて、どんな感想を持つだろうか。)

 読みにくいというだけではなく、「実際に…」という短い一文でも、まるで、他の国のことばのように感じないだろうか?
ローマ字書きの手紙を送ってきたうめさおさんに、勇敢なアバンギャルドぶり(先進性)をほめ、「日本の文字改革のためにおおいにがんばれ」とはげました人がいたというが、スゴイ人だ。最初、何かの冗談の一種かと勘違いし、本気と知ったら、普通はカンベンして欲しいと思うのが自然な反応だ。

 うめさおさんにとっては、ローマ字の読み書きは苦痛ではなかったが、一般の人にとってはあたらしい文字を使うのと同じくらいの不便さがあった。あたらしい文字(新字)の普及が難しいこと、新字論の挫折を反面教師として、うめさおさんは、より一般の人が読みやすいカタカナが印字できる、カナモジ・タイプライターを手に入れる。

 ハシレメロス カナモジ(カタカナ)書きの例

ハシレメロス
メロス ハ ゲキド シタ.カナラズ,カノ ジヤチボウギヤク ノ オウ ヲ ノゾカナケレバナラ ナイ ト ケツイ シタ.メロス ニハ セイジ ガ ワカラヌ.メロス ハ,ムラ ノ マキビト デ アル.フエ ヲ フキ,ヒツジ ト アソンデ クラシテ キタ.

 ジツサイ ニ ヨンデミテ,ドンナ カンソウ ヲ モツ ダロウカ. (注)

注 このウェブサイトでは一般的なゴシック体で表示しているが、うめさおさんの使っていたタイプライターが印字するのはカナモジ専用の特殊な字体だった。読んだ人はもう少し強い違和感を感じる可能性が高い。

 ローマ字書きの日本語よりは、ずいぶんと読みやすくなっているのではないだろうか。うめさおさんは、カナモジタイプライターと同じく能率的に打つことができて(この点から「和文タイプライター」は失格)さらに、読みやすいひらかなのタイプライターを手に入れる。

 はしれめろす ひらがな書きの例

はしれめろす
 めろすはげきどした。かならず、かのじゃちぼうぎゃくのおうをのぞかなければならぬとけついした。めろすにはせいじがわからぬ。めろすは、むらのまきびとである。ふえをふき、ひつじとあそんでくらしてきた。

 じつさいによんでみて、どんなかんそうをもつだろうか。

 うめさおさんのタイプライターの変遷

うめさおさんのタイプライターの変遷

 うめさおさんの効率的に(手で書くよりも早く)日本語を書くということへの取り組みは、1969年7月に初版本が出版された「知的生産の技術」では「ひらかなタイプライター」までで終わっている。そこまでしか書かれていない。パソコンを持つ現代の読者にとって、ほこりのかぶった、つまらないエピソードと感じるかもしれない。うめさおさんの追求した日本語を効率的に書くというニーズは、「必要は発明の母」という言葉を借りるまでもなく、日本語ワープロ誕生(1978年)につながる源泉の一つである。
 数万円程度のひらかなタイプライターに対して、量産された世界初の東芝製日本語ワープロは、数百万円の高価で高度な機械だった。その価格差は、ほぼ機械としての機能(複雑さ)と比例していた。それほど、出版当時、うめさおさんの欲していたモノは実現性のハードルが高かった。高いハードルを前にして降参し、誰かが、開発するまで待つのが賢い気もする。普及版を待てば、さらに買いやすい値段になる。ただ、そんなものは待たずに、自分で解決しようとしたうめさおさんの蛮勇さこそ、かけがいのないものなのではないだろうか。

 ひらがなだけだと読みにくい?

 私が思うに、こどもはだれでも、漢字(かんじ)の書き取りや、漢字ドリルをするのが大きらいだと思うが、きみはどうだろうか。漢字の勉強が好きという子は、漢和字典を手に入れるのがおすすめだ。そのまま楽しく勉強を続けよう。
 漢字の勉強がきらいな子は、ちょっと漢字について考えてみよう。

 漢字にふりがながついた文書は読みやすいが、全部ひらがなの文書は読みにくい。たとえば、JR東日本の『ポケモン・スタンプラリー「めざせポケモンマスター!!2010」』の「パンフレット」と「ラリー記念スタンプ図鑑」は、漢字にすべてふりがながついて読みやすい。全部ひらがなにした太宰治の『走れメロス』を用意したので一度読んでみてほしい。すごく読みにくいハズだ。漢字を覚えるのは大変だが、もしも、ひらがなだけになったら困ってしまう。漢字の勉強がキライだからといって、漢字なんて無くなればイイと考えるのはまちがっている感じがする。
 でも、“天才的な「知の構築力」”(注2)をもつといわれる うめさおさんは、大人なのに、さらに言えば、大学の先生なのに全部ひらがなの手紙を書いていた。うめさおさんが手紙をおくっていたあいての人も大人だった。ひらがなだけでは読みにくいというのは、実は、私のおもいこみで間違いかもしれない。まわりの大人のひとに、ひらがなだけで書いた文書を見せて意見を聞いてみよう。

注2 「悼む 梅棹忠夫さん(民俗学者・元国立民族学博物館長 石毛直道)」見出し 毎日新聞 東京版 2010(平成22)年 7月18日 朝刊 5面

 分かち書きをしてみよう

 「ひらがなだけだと読みにくいかどうか?」 きみのまわりの大人の意見はどうだっただろうか?きみ自身はどう考えただろうか?結果はどうあれ、ひらがなだけの文書を読みやすくする方法は、いろいろある。説明をしなかったけれど、前に書いた、走れメロスのローマ字版とカタカナ版は「分かち書き」という書き方をしている。一般的な日本語表記法(漢字かなまじり文)は、分かち書きをしないが、英語は分かち書きをする。

 分かち書きの例

分かち書き 英語と日本語

 分かち書きというのは、単語ごとにスペース(空白)で分けて書く方法で、特にローマ字書きの日本語で、もしも分かち書きをしなければ暗号同然のとても読みにくいものなってしまう。

 走れメロス(太宰治) ローマ字書き 分かち書き無し

Merosuhagekidoshita.
Kanarazu,kanojachibougyakunoouonozokanakerebanaranutoketsuishita.
Merosunihaseijigawakaranu.
Merosuhamuranomakibitodearu.
Fueofuki,hitsujitoasondekurashitekita.

 ハシレメロス カナモジ(カタカナ)書き 分かち書き無し

メロスハゲキドシタ.
カナラズ,カノジヤチボウギヤクノオウヲノゾカナケレバナラナイトケツイシタ.
メロスニハセイジガワカラヌ.
メロスハ,ムラノマキビトデアル.
フエヲフキ,ヒツジトアソンデクラシテキタ.

注 ピリオドごとに改行

 ローマ字書きに関しては、チンプンカンプン。カタカナ書きも分かち書きをしたものに比べて読むのが数段難しい。

 自分で分かち書きをしてみよう

 手書きでひらがなの分かち書きをするのもよいが、試行錯誤(何度もいろいろためしてみること)をするためには、デジタル化した文書を加工するのが便利だ。印刷をしたものを読んでいないのならば、モニターに映るこの文字もデジタル情報だ。下に用意した「ひらがな はしれめろす」をコピーアンドペーストで、「ワード」、「一太郎」などの日本語ワープロソフトにペーストしてみよう。
 ワープロソフトが無い場合は、ウィンドウズであれば、標準で装備してある「メモ帳」にコピーアンドペーストをしてみよう。

はしれめろす

だざいおさむ

 めろすはげきどした。かならず、かのじゃちぼうぎゃくのおうをのぞかなければならぬとけついした。めろすにはせいじがわからぬ。めろすは、むらのまきびとである。ふえをふき、ひつじとあそんでくらしてきた。けれどもじゃあくにたいしては、ひといちばいにびんかんであつた。きょうみめいめろすはむらをしゅっぱつし、のをこえやまこえ、10りはなれたこのしらくすのいちにやつてきた。めろすにはちちも、ははもない。にょうぼもない。16の、うちきないもうととふたりぐらしだ。このいもうとは、むらのあるりちぎないちまきびとを、ちかぢか、はなむことしてむかへることになつていた。けっこんしきもまじかなのである。めろすは、それゆえ、はなよめのいしょうやらしゅくえんのごちそうやらをかいに、はるばるいちにやつてきたのだ。まづ、そのしなじなをかいあつめ、それからみやこのおおじをぶらぶらあるいた。めろすにはちくばのともがあつた。せりぬんていうすである。いまはこののしらくすのいちで、いしくをしている。そのともを、これからたずねてみるつもりなのだ。ひさしくあはなかつたのだから、たずねていくのがたのしみである。あるいているうちにめろすは、まちのようすをあやしくおもつた。ひつそりしている。もうすでにひもおちて、まちのくらいのはあたりまへだが、けれども、なんだか、よるのせいばかりではなく、しぜんたいが、やけにさびしい。のんきなめろすも、だんだんふあんになつてきた。みちであつたわかいしゅうをつかまへて、なにかあつたのか、2ねんまへにこのしにきたときは、よるでもみながうたをうたつて、まちはにぎやかであつたはずだが、としつもんした。わかいしゅうは、くびをふつてこたへなかつた。しばらくあるいてろうやにあひ、こんどはもつと、ごせいをつよくしてしつもんした。ろうやはこたへなかつた。めろすはりょうてでろうやのからだをゆすぶつてしつもんをかさねた。ろうやは、あたりをはばかるていせいで、わずかこたへた。
「おうさまは、ひとをころします。」
「なぜころすのだ。」
「あくしんをいだいている、というのですが、だれもそんな、あくしんをもつてはおりませぬ。」
「たくさんのひとをころしたのか。」
「はい、はじめはおうさまのいもうとむこさまを。それから、ごじしんのおよつぎを。それから、いもうとさまを。それから、いもうとさまのみこさまを。それから、こうごうさまを。それから、けんしんのあれきすさまを。」
「おどろいた。こくおうはらんしんか。」
「いいえ、らんしんではございませぬ。ひとを、しんずることができぬ、というのです。このごろは、しんかのこころをも、おうたがひになり、すこしくはでなくらしをしているものには、ひとじちひとりづつさしだすことをめいじております。ごめいれいをこばめばじゅうじかにかけられて、ころされます。きょうは、6にんころされました。」
 きいて、めろすはげきどした。「あきれたおうだ。いかしておけぬ。」
 めろすは、たんじゅんなおとこであつた。かいものを、せおつたままで、のそのそおうじょうにはひつていつた。たちまちかれは、じゅんらのけいりにほばくされた。しらべられて、めろすのかいちゅうからはたんけんがでてきたので、さわぎがおおきくなつてしまつた。めろすは、おうのまえにひきだされた。
「このたんとうでなにをするつもりであつたか。いへ!」ぼうくんでいおにすはしずかに、けれどもいげんをもってとひつめた。そのおうのかおはそうはくで、みけんのしわは、きざみこまれたやうにふかかつた。
「しをぼうくんのてからすくふのだ。」とめろすはわるびれずにこたへた。
「おまへがか?」おうは、びんしょうした。「しかたのないやつぢや。おまへには、わしのこどくがわからぬ。」
「いうな!」とめろすは、いきりたつてはんばくした。「ひとのこころをうたがふのは、もっともはづべきあくとくだ。おうは、たみのちゅうせいをさへうたがつておられる。」
「うたがふのが、せいとうのこころがまへなのだと、わしにおしへてくれたのは、おまへたちだ。ひとのこころは、あてにならない。にんげんは、もともとわたしよくのかたまりさ。しんじては、ならぬ。」ぼうくんはおちついてつぶやき、ほつとためいきをついた。「わしだつて、へいわをのぞんでいるのだが。」
「なんのためのへいわだ。じぶんのちいをまもるためか。」こんどはめろすがちょうしょうした。「つみのないひとをころして、なにがへいわだ。」
「だまれ、げせんのもの。」おうは、さつとかおをあげてむくいた。「くちでは、どんなきよらかなことでもいへる。わしには、ひとのはらわたのおくそこがみえすいてならぬ。おまへだつて、いまに、はりつけになつてから、ないてわびたつてきかぬぞ。」
「ああ、おうはりこうだ。うぬぼれているがよい。わたしは、ちやんとしぬるかくごでいるのに。いのちごひなどけっしてしない。ただ、−」といひかけて、めろすはあしもとにしせんをおとししゅんじためらひ、「ただ、わたしにじょうをかけたいつもりなら、しょけいまでにみっかかんのにちげんをあたへてください。たつたひとりのいもうとに、ていしゅをもたせてやりたいのです。みっかのうちに、わたしはむらでけっこんしきをあげさせ、かならず、ここへかえつてきます。」
「ばかな。」とぼうくんは、しゃがれたこえでひくわらつた。「とんでもないうそをいうわい。にがしたことりがかえつてくるというのか。」
「さうです。かえつてくるのです。」めろすはひっしでいひはつた。「わたしはやくそくをまもります。わたしを、みっかかんだけゆるしてください。いもうとが、わたしのかえりをまつているのだ。そんなにわたしをしんじられないならば、よろしい、このしにせりぬんていうすといういしくがいます。わたしのむにのゆうじんだ。あれを、ひとじちとしてここにおいていかう。わたしがにげてしまつて、みっかめのひぐれまで、ここにかえつてこなかつたら、あのゆじんをしめころしてください。たのむ。さうしてください。」
 それをきいておうは、ざんぎゃくなきもちで、そつとほくそえんだ。なまいきなことをいうわい。どうせかえつてこないにきまつている。このうそつきにだまされたふりして、はなしてやるのもおもしろい。さうしてみがわりのおとこを、みっかめにころしてやるのもきみがいい。ひとは、これだからしんじられぬと、わしはかなしいかおして、そのみがわりのおとこをはりつけけいにしょしてやるのだ。よのなかの、しょうじきものとかいうやつらにうんとみせつけてやりたいものさ。
「ながひを、きいた。そのみがわりをよぶがよい。みっかめにはにちぼつまでにかえつてこい。おくれたら、そのみがわりを、きつところすぞ。ちよつとおくれてくるがいい。おまへのつみは、えいえんにゆるしてやらうぞ。」
「なに、なにをおつしやる。」
「はは。いのちがだいじだつたら、おくれてこい。おまへのこころは、わかつているぞ。」
 めろすはくちおしく、じたんだふんだ。ものもいひたくなくなつた。
 ちくばのとも、せりぬんていうすは、しんや、おうじょうにめされた。ぼうくんでいおにすのめんぜんで、よきともとよきともは、2ねんぶりでそうおうた。めろすは、ともにいっさいのじじょうをかたつた。せりぬんていうすはむごんでうなずき、めろすをひしとだききしめた。ともととものあいだは、それでよかつた。せりぬんていうすは、なわうたれた。めろすは、すぐにしゅっぱつした。しょか、まんてんのほしである。
 めろすはそのよ、いっすいもせず10りのみちをいそぎにいそいで、むらへとうちゃくしたのは、あくるひのごぜん、ひはすでにたかくのぼつて、むらびとたちはのにでてしごとをはじめていた。めろすの16のいもうとも、きょうはあにのかわりにひつじむれのばんをしていた。よろめいてあるいてくるあにの、ひろうこんぱいのすがたをみつけておどろいた。さうして、うるさくあににしつもんをあびせた。
「なんでもない。」めろすはむりにわらはうとつとめた。「しにようじをのこしてきた。またすぐしにいかなければならぬ。あす、おまへのけっこんしきをあげる。はやいはうがよからう。」
 いもうとはほほをあからめた。
「うれしいか。きれいないしょうもかつてきた。さあ、これからいつて、むらのひとたちにしらせてこい。けっこんしきは、あすだと。」
 めろすは、また、よろよろとあるきだし、いえへかえつてかみがみのさいだんをかざり、しゅくえんのせきをととのへ、まもなくとこにたおれふし、こきゅうもせぬくらいのふかいねむりにおちてしまつた。
 めがさめたのはよるだつた。めろすはおきてすぐ、はなむこのいえをおとずれた。さうして、すこしじじょうがあるから、けっこんしきをあすにしてくれ、とたのんだ。むこのまきびとはおどろき、それはいけない、こちらにはいまだなんのしたくもできていない、ぶどうのきせつまでまつてくれ、とこたへた。めろすは、まつことはできぬ、どうかあすにしてくれたまへ、とさらにおしてたのんだ。むこのまきびともがんきょうであつた。なかなかしょうだくしてくれない。よあけまでぎろんをつづけて、やつと、どうにかむこをなだめ、すかして、ときふせた。けっこんしきは、まひるに行はれた。しんろうしんぷの、かみがみへのせんせいがすんだころ、こくうんがそらをおおひ、ぽつりぽつりあめがふりだし、やがてしゃじくをながすやうなおおあめとなつた。しゅくえんにれっせきしていたむらびとたちは、なにかふきつなものをかんじたが、それでも、めいめいきもちをひきたて、せまいいえのなかで、むんむんむしあついのもこらへ、ようきにうたをうたひ、てをうつた。めろすも、まんめんにきしょくをたたへ、しばらくは、おうとのあのやくそくをさへわすれていた。しゅくえんは、よるにはいつていよいよみだれはなやかになり、ひとびとは、そとのごううをまったくきにしなくなつた。めろすは、いっしょうこのままここにいたい、とおもつた。このよいひとたちとしょうがいくらしていきたいとねがつたが、いまは、じぶんのからだで、じぶんのものではない。ままならぬことである。めろすは、わがみにむちうち、つひにしゅっぱつをけついした。あすのにちぼつまでには、まだじゅうぶんのときがある。ちよつとひとねむりして、それからすぐにしゅっぱつしよう、とかんがへた。そのころには、あめもこぶりになつていよう。すこしでもながくこのいえにぐずぐずとどまつていたかつた。めろすほどのおとこにも、やはりみれんのじょうというものはある。こよいぼうぜん、かんきによつているらしいはなよめにちかより、
「おめでたう。わたしはつかれてしまつたから、ちよつとごめんかうむつてねむりたい。めがさめたら、すぐにしにでかける。たいせつなようじがあるのだ。わたしがいなくても、もうおまへにはやさしいていしゅがあるのだから、けっしてさびしいことはない。おまへのあにの、いちばんきらひなものは、ひとをうたがふことと、それから、うそをつくことだ。おまへも、それは、しつているね。ていしゅとのあいだに、どんなひみつでもつくつてはならぬ。おまへにいひたいのは、それだけだ。おまへのあには、たぶんえらいおとこなのだから、おまへもそのほこりをもつていろ。」
 はなよめは、ゆめみごこちでうなずいた。めろすは、それからはなむこのかたをたたいて、
「したくのないのはおたがひさまさ。わたしのいえにも、たからといつては、いもうととひつじだけだ。ほかには、なにもない。ぜんぶあげよう。もうひとつ、めろすのおとうとになつたことをほこつてくれ。」
 はなむこはもみてして、てれていた。めろすはわらつてむらびとたちにもえしゃくして、えんせきからたちさり、ひつじごやにもぐりこんで、しんだやうにふかくねむつた。
 めがさめたのはあくるひのはくめいのころである。めろすははねおき、なむさん、ねすごしたか、いや、まだまだだいじょうぶ、これからすぐにしゅっぱつすれば、やくそくのこくげんまでにはじゅうぶんまにあふ。きょうはぜひとも、あのおうに、ひとのしんじつのそんするところをみせてやらう。さうしてわらつてはりつけのだいにあがつてやる。めろすは、ゆうゆうとみじたくをはじめた。あめも、いくぶんこぶりになつているようすである。みじたくはできた。さて、めろすは、ぶるんとりょううでをおおきくふつて、うちゅう、やのごとくはしりでた。
 わたしは、こよい、ころされる。ころされるためにはしるのだ。みがわりのともをすくふためにはしるのだ。おうのかんねいじゃちをうちやぶるためにはしるのだ。はしらなければならぬ。さうして、わたしはころされる。わかいときからめいよをまもれ。さらば、ふるさと。わかいめろすは、つらかつた。いくどか、たちどまりさうになつた。えい、えいとおおごえあげてじしんをしかりながらはしつた。むらをでて、のをよこぎり、もりをくぐりぬけ、となりむらについたころには、あめもやみ、ひはたかくのぼつて、そろそろあつくなつてきた。めろすはひたいのあせをこぶしではらひ、ここまでくればだいじょうぶ、もはやこきょうへのみれんはない。いもうとたちは、きつとよいううふになるだらう。わたしには、いま、なんのきがかりもないはずだ。まつすぐにおうじょうにいきつけば、それでよいのだ。そんなにいそぐひつようもない。ゆつくりあるかう、ともちまへののんきさをとりかえし、すきなこうたをいいこえでうたひだした。ぶらぶらあるいて2りいき3りいき、そろそろぜんりていのはんばにとうたつしたころ、ふつてわいたさいなん、めろすのあしは、はたと、とまつた。みよ、ぜんぽうのかわを。きのふのごううでやまのすいげんちははんらんし、だくりゅうとうとうとかりゅうにあつまり、もうせいいっきょにはしをはかいし、どうどうとひびきをあげるげきりゅうが、こっぱみじんにはしげたをはねとばしていた。かれはぼうぜんと、たちすくんだ。あちこちとながめまはし、また、こえをかぎりによびたててみたが、けいせんはのこらずなみにさらはれてかげなく、わたりまもりのすがたもみえない。ながれはいよいよ、ふくれあがり、うみのやうになつている。めろすはかわぎしにうずくまり、おとこなきになきながらぜうすにてをあげてあいがんした。「ああ、しずめたまへ、あれくるふながれを!ときはこくこくにすぎていきます。たいようもすでにまひるどきです。あれがしずんでしまはぬうちに、おうじょうにいきつくことができなかつたら、あのよいともだちが、わたしのためにしぬのです。」
 だくりゅうは、めろすのさけびをせせらわらふごとく、ますますはげしくおどりくるふ。なみはなみをのみ、まき、あおりたて、さうしてときは、こくいっこくときえていく。いまはめろすもかくごした。およぎきるよりほかにない。ああ、かみがみもしょうらんあれ!だくりゅうにもまけぬあいとまことのいだいなちからを、いまこそはっきしてみせる。めろすは、ざんぶとながれにとびこみ、100ぴきのだいじゃのやうにのたうちあれくるふなみをあいてに、ひっしのとうそうをかいしした。まんしんのちからをうでにこめて、おしよせうずまきひきずるながれを、なんのこれしきとかきわけかきわけ、めくらめつぽふししふんじんのひとのこのすがたには、かみもあわれとおもつたか、つひにれんびんをたれてくれた。おしながされつつも、みごと、たいがんのじゅもくのみきに、すがりつくことができたのである。ありがたい。めろすはうまのやうにおおきなどうぶるひをひとつして、すぐにまたさきをいそいだ。いっこくといへとも、むだにはできない。ひはすでににしにかたむきかけている。ぜいぜいあらいこきゅうをしながらとうげをのぼり、のぼりきつて、ほつとしたとき、とつぜん、めのまえにいったいのさんぞくがおどりでた。
「まて。」
「なにをするのだ。わたしはひのしずまぬうちにおうじょうへいかなければならぬ。はなせ。」
「どつこいはなさぬ。もちものぜんぶをおいていけ。」
「わたしにはいのちのほかにはなにもない。その、たつたひとつのいのちも、これからおうにくれてやるのだ。」
「その、いのちがほしいのだ。」
「さては、おうのめいれいで、ここでわたしをまちぶせしていたのだな。」
 さんぞくたちは、ものもいはずいっせいにこんぼうをふりあげた。めろすはひょいと、からだをおりまげ、あすかのごとくみじかのひとりにおそひかかり、そのこんぼうをうばひとつて、
「きのどくだがせいぎのためだ!」ともうぜんいちげき、たちまち、3にんをなぐりたおし、のこるもののひるむすきに、さつさとはしつてとうげをくだつた。いっきにとうげをかけおりたが、さすがにひろうし、おりからごごのしゃくねつのたいようがまともに、かつとてつてきて、めろすはいくどとなくめまいをかんじ、これではならぬ、ときをとりなおしては、よろよろ2、3ぽあるいて、つひに、がくりとひざをおつた。たちあがることができぬのだ。てんをあおいで、くやしなきになきだした。ああ、あ、だくりゅうをおよぎきり、さんぞくを3にんもうちたおしいだてん、ここまでとっぱしてきためろすよ。しんのゆうしゃ、めろすよ。いま、ここで、つかれきつてうごけなくなるとはなさけない。あいするともは、おまへをしんじたばかりに、やがてころされなければならぬ。おまへは、きだいのふしんのにんげん、まさしくおうのおもふつぼだぞ、とじぶんをしかつてみるのだが、ぜんしんなえて、もはやいもむしほどにもぜんしんかなはぬ。ろぼうのそうげんにごろりとねころがった。しんたいひろうすれば、せいしんもともにやられる。もう、どうでもいいという、ゆうしゃにふにあひなふてくされたこんじょうが、こころのすみにすくつた。わたしは、これほどどりょくしたのだ。やくそくをやぶるこころは、みぢんもなかつた。かみもしょうらん、わたしはせいいっぱいにつとめてきたのだ。うごけなくなるまではしつてきたのだ。わたしはふしんのとではない。ああ、できることならわたしのむねをたちわつて、しんくのしんぞうをおめにかけたい。あいとしんじつのけつえきだけでうごいているこのしんぞうをみせてやりたい。けれどもわたしは、このだいじなときに、せおもこんもつきたのだ。わたしは、よくよくふこうなおとこだ。わたしは、きつとわらはれる。わたしのいっかもわらはれる。わたしはともをあざむいた。ちゅうとでたおれるのは、はじめからなにもしないのとおなじことだ。ああ、もう、どうでもいい。これが、わたしのさだまつたうんめいなのかもしれない。せりぬんていうすよ、ゆるしてくれ。きみは、いつでもわたしをしんじた。わたしもきみを、あざむかなかつた。わたしたちは、ほんとうによいともとともであつたのだ。いちどだつて、くらいぎわくのくもを、おたがひむねにやどしたことはなかつた。いまだつて、きみはわたしをむしんにまつているだらう。ああ、まつているだらう。ありがたう、せりぬんていうす。よくもわたしをしんじてくれた。それをおもへば、たまらない。ともととものあいだのしんじつは、このよでいちばんほこるべきたからなのだからな。せりぬんていうす、わたしははしつたのだ。きみをあざむくつもりは、みぢんもなかつた。しんじてくれ! わたしはいそぎにいそいでここまできたのだ。だくりゅうをとっぱした。さんぞくのかこみからも、するりとぬけていっきにとうげをかけおりてきたのだ。わたしだから、できたのだよ。ああ、このうえ、わたしにのぞみたもふな。ほつておいてくれ。どうでも、いいのだ。わたしはまけたのだ。だらしがない。わらつてくれ。おうはわたしに、ちよつとおくれてこい、とみみうちした。おくれたら、みがわりをころして、わたしをたすけてくれるとやくそくした。わたしはおうのひれつをにくんだ。けれども、いまになってみると、わたしはおうのいうままになつている。わたしは、おくれていくだらう。おうは、ひとりがてんしてわたしをわらひ、さうしてこともなくわたしをほうめんするだらう。さうなつたら、わたしは、しぬよりつらい。わたしは、えいえんにうらぎりものだ。ちじょうでもっとも、ふめいよのじんしゅだ。せりぬんていうすよ、わたしもしぬぞ。きみといっしょにしなせてくれ。きみだけはわたしをしんじてくれるにちがひない。いや、それもわたしの、ひとりよがりか? ああ、もういつそ、あくとくものとしていきのびてやらうか。むらにはわたしのいえがある。ひつじもいる。いもうとふうふは、まさかわたしをむらからおひだすやうなことはしないだらう。せいぎだの、しんじつだの、あいだの、かんがへてみれば、くだらない。ひとをころしてじぶんがいきる。それがにんげんせかいのじょうほうではなかつたか。ああ、なにもかも、ばかばかしい。わたしは、みにくいうらぎりものだ。どうとも、かってにするがよい。やんぬるかな。−ししをなげだして、うとうと、まどろんでしまつた。
 ふとみみに、せんせん、みずのながれるおとがきこえた。そつとあたまをもたげ、いきをのんでみみをすました。すぐあしもとで、みずがながれているらしい。よろよろおきあがつて、みると、いわのさけめからこんこんと、なにかちいさくささやきながらしみずがわきでているのである。そのいずみにすひこまれるやうにめろすはみをかがめた。みずをりょうてですくつて、ひとくちのんだ。ほうとながいためいきがでて、ゆめからさめたやうなきがした。あるける。いかう。にくたいのひへいかいふくとともに、わづかながらきぼうがうまれた。ぎむすいこうのきぼうである。わがみをころして、めいよをまもるきぼうである。しゃようはあかいひかりを、ききのはにとうじ、はもえだももえるばかりにかがやいている。にちぼつまでには、まだまがある。わたしを、まつているひとがあるのだ。すこしもうたがはず、しずかにきたいしてくれているひとがあるのだ。わたしは、しんじられている。わたしのいのちなぞは、もんだいではない。しんでおわび、などときのいいことはいつておられぬ。わたしは、しんらいにむくいなければならぬ。いまはただそのいちじだ。はしれ!めろす。
 わたしはしんらいされている。わたしはしんらいされている。せんこくの、あのあくまのささやきは、あれはゆめだ。わるいゆめだ。わすれてしまへ。ごぞうがつかれているときは、ふいとあんなわるいゆめをみるものだ。めろす、おまへのはじではない。やはり、おまへはしんのゆうしゃだ。ふたたびたつてはしれるやうになつたではないか。ありがたい!わたしは、せいぎのしとしてしぬことができるぞ。ああ、ひがしずむ。ずんずんしずむ。まつてくれ、ぜうすよ。わたしはうまれたときからしょうじきなおとこであつた。しょうじきなおとこのままにしてしなせてください。
 みちゆくひとをおしのけ、はねとばし、めろすはくろいかぜのやうにはしつた。のはらでしゅえんの、そのえんせきのまっただなかをかけぬけ、しゅえんのひとたちをぎょうてんさせ、いぬをけとばし、おがわをとびこえ、すこしつつしずんでゆくたいようの、10ばいもはやくはしつた。いちだんのたびびととさつとすれちがつたしゅんかん、ふきつなかいわをこみみにはさんだ。
「いまごろは、あのおとこも、はりつけにかかつているよ。」ああ、そのおとこ、そのおとこのためにわたしは、いまこんなにはしつているのだ。そのおとこをしなせてはならない。いそげ、めろす。おくれてはならぬ。あいとまことのちからを、いまこそしらせてやるがよい。ふうていなんかは、どうでもいい。めろすは、いまは、ほとんどぜんらたいであつた。こきゅうもできず、2ど、3ど、くちからちがふきでた。みえる。はるかむこふにちいさく、しらくすのしのとうろうがみえる。とうろうは、ゆうひをうけてきらきらひかつている。
「ああ、めろすさま。」うめくやうなこえが、かぜとともにきこえた。
「だれだ。」めろすははしりながらたずねた。 「ふいろすとらとすでございます。あなたのおともだちせりぬんていうすさまのでしでございます。」そのわかいいしくも、めろすのあとについてはしりながらさけんだ。「もう、だめでございます。むだでございます。はしるのは、やめてください。もう、あのかたをおたすけになることはできません。」
「いや、まだひはしずまぬ。」
「ちやうどいま、あのかたがしけいになるところです。ああ、あなたはおそかつた。おうらみもうします。ほんのすこし、もうちよつとでも、はやかつたなら!」
「いや、まだひはしずまぬ。」 めろすはむねのはりさけるおもひで、あかくおおきいゆうひばかりをみつめていた。
はしるよりほかはない。
「やめてください。はしるのは、やめてください。いまはごじぶんのおいのちがだいじです。あのかたは、あなたをしんじておりました。けいじょうにひきだされても、へいきでいました。おうさまが、さんざんあのかたをからかつても、めろすはきます、とだけこたへ、つよいしんねんをもちつづけているようすでございました。」
「それだから、はしるのだ。しんじられているからはしるのだ。まにあふ、まにあはぬはもんだいでないのだ。ひとのいのちももんだいでないのだ。わたしは、なんだか、もつとおそろしくおおきいもののためにはしつているのだ。ついてこい!ふいろすとらとす。」
「ああ、あなたはきがくるつたか。それでは、うんとはしるがいい。ひよつとしたら、まにあはぬものでもない。はしるがいい。」
 いうにやおよぶ。まだひはしずまぬ。さいごのしりょくをつくして、めろすははしつた。めろすのあたまは、からつぽだ。なにひとつかんがへていない。ただ、わけのわからぬおおきなちからにひきずられてはしつた。ひは、ゆらゆらちへいせんにぼっし、まさにさいごのいっぺんのざんこうも、きえようとしたとき、めろすはしっぷうのごとくけいじょうにとつにゅうした。
まにあつた。
「まて。そのひとをころしてはならぬ。めろすがかえつてきた。やくそくのとほり、いま、かえつてきた。」とおおごえでけいじょうのぐんしゅうにむかつてさけんだつもりであつたが、のどがつぶれてかれたこえがかすかにでたばかり、ぐんしゅうは、ひとりとしてかれのとうちゃくにきがつかない。すでにはりつけのはしらがたかだかとたてられ、なわをうたれたせりぬんていうすは、じょじょにつりあげられてゆく。めろすはそれをもくげきしてさいごのゆう、せんこく、だくりゅうをおよいだやうにぐんしゅうをかきわけ、かきわけ、
「わたしだ、けいり!ころされるのは、わたしだ。めろすだ。かれをひとじちにしたわたしは、ここにいる!」と、かすれたこえでせいいっぱいにさけびながら、つひにはりつけだいにのぼり、つりあげられてゆくとものりょうあしに、かじりついた。ぐんしゅうは、どよめいた。あつぱれ。ゆるせ、とくちぐちにわめいた。せりぬんていうすのなわは、ほどかれたのである。
「せりぬんていうす。」めろすはめになみだをうかべていつた。「わたしをなぐれ。ちからいっぱいにほほをなぐれ。わたしは、とちゅうでいちど、わるいゆめをみた。きみがもしわたしをなぐつてくれなかつたら、わたしはきみとほうようするしかくさへないのだ。なぐれ。」
 せりぬんていうすは、すべてをさっしたようすでうなずき、けいじょういっぱいになりひびくほどおとたかくめろすのみぎほほをなぐつた。なぐつてからやさしくほほえみ、
「めろす、わたしをなぐれ。おなじくらいおとたかくわたしのほほをなぐれ。わたしはこのみっかのあいだ、たつたいちどだけ、ちらときみをうたがつた。うまれて、はじめてきみをうたがつた。きみがわたしをなぐつてくれなければ、わたしはきみとほうようできない。」
 めろすはうでにうねりをつけてせりぬんていうすのほほをなぐつた。
「ありがたう、ともよ。」ふたりどうじにいひ、ひしとだきあひ、それからうれしなきにおいおいこえをはなつてないた。
 ぐんしゅうのなかからも、きょきのこえがきこえた。ぼうくんでいおにすは、ぐんしゅうのはいごからふたりのさまを、まじまじとみつめていたが、やがてしずかにふたりにちかづき、かおをあからめて、かういつた。
「おまへらののぞみはかなつたぞ。おまへらは、わしのこころにかつたのだ。しんじつとは、けっしてくうきょなもうそうではなかつた。どうか、わしをもなかまにいれてくれまいか。どうか、わしのねがひをききいれて、おまへらのなかまのひとりにしてほしい。」
 どつとぐんしゅうのあいだに、かんせいがおこつた。
「ばんざい、おうさまばんざい。」
 ひとりのしょうじょが、あかのまんとをめろすにささげた。めろすは、まごついた。よきともは、きをきかせておしへてやつた。
「めろす、きみは、まつぱだかぢやないか。はやくそのまんとをきるがいい。このかあいいむすめさんは、めろすのらたいを、みなにみられるのが、たまらなくくちおしいのだ。」
 ゆうしゃは、ひどくせきめんした。

(こでんせつと、しるれるのしから。)

『メモ帳』を立ち上げる XPの場合

『メモ帳』を立ち上げる XP

1 画面左下にある[スタート]ボタンをクリック

2 ドロップダウンリストの[すべてのプログラム]ボタンにポインタを合わせる

3 [アクセサリ]フォルダーにポインタを合わせ、ドロップダウンリストの[メモ帳]ボタンをクリック

『メモ帳』を立ち上げる 7、Vistaの場合

『メモ帳』を立ち上げる 7、Vista

1 画面左下にある[スタート]ボタンをクリック

2 ドロップダウンリストの[すべてのプログラム]ボタンにポインタを合わせる

3 [アクセサリ]フォルダーをクリック、ドロップダウンリストの[メモ帳]ボタンをクリック

 単語の間にスペースを入れる

 ワープロソフトやメモ帳に貼り付けたひらがなの文書を自分で分かち書きをしてみよう。文書を読みながら単語と単語の間にスペースを入れていこう。単語がどこで切れるかわからない場合は、漢字かなまじりのオリジナルを読んでチェックしよう。漢字部分と送り仮名の間にスペースを入れるだけでも読みやすくなるのでためしてみよう。

Webm旅 2008年1月号 熱海の作家 太宰治 走れメロス

http://www.webmtabi.jp/200801/novel/atami_dazaiosamu_hashiremerosu.html

 検索エンジンにも使われる 分かち書き

 ひらがなだけの文書を分かち書きするということは、ずいぶんバカバカしいこと。いままでの説明の経緯から古臭い忘れられた技術と感じるかもしれないが、日本語の「分かち書き」は現在のインターネットを支える、googleやyahoo!などの検索サイトの全文検索システムの主要技術の一つとなっている。

 全文検索システムでは,通常,単語単位に検索を行う。そのため,インデックスには単語単位で情報を格納する。したがって,インデックスを作成するには,Webページの文章を単語レベルに分ける処理が必要になる…これを日本語の「分かち書き」という。
…分かち書きを専門的な自然言語学の用語でいうと「形態素解析」という。形態素とは,意味をもつ単語の最小単位のことであり,形態素が1つ以上つながって単語をなす。逆に形態素をそれ以上分解すると音素となる。機械的な言語処理の分野においては,表記に表れた語構成の最小単位を形態素という。すなわち形態素解析とは,自然言語文を形態素ごとに分ける処理のことをいう。厳密にいえば,形態素と単語は異なる概念だが,ここでは同じものと考えてもとくに差し支えないだろう。

『改訂 Namazuシステムの構築と活用 〜日本語全文検索徹底ガイド〜』馬場肇 ソフトバンク パブリッシング 2003年

 図書館で調べてみよう

 分かち書きについていろいろ調べるのなら、ネットを離れて図書館に行くのもおすすめだ。図書館ではレファレンスサービスと言って利用者が調べたいことを手助けしてくれるサービスがある。分かち書きについて、自分の家の近くの図書館でレファレンスサービスを利用してみよう。
 「日本語の分かち書きについて」と相談するより、『自然言語学(しぜんげんごがく)の用語(ようご)でいうと「形態素解析(けいたいそかいせき)」について』と相談した方がより専門的な資料を紹介してもらえる。
 また、うめさおさんの分かち書きに興味がある人は、『知的生産の技術』に出てくる2冊の本。『ローマ字文の研究』田丸卓郎著 日本のローマ字社 大正9(1920)年、『カナ・ローマ字共通やさしい分かち書き法 : 実用分かち書き辞典』堀内庸村著 ダイヤモンド社 昭和34(1959)年を探してみよう。もちろん、図書館のレファレンスサービスを利用し、この2冊を読みたいと相談すれば司書の人が親切に対応してくれるハズだ。

 オリジナルな解決法を考えてみよう

 ひらがな文が読みにくいという問題を解決するためには、いろいろなアプローチが考えられるが、試しに「なぜ、読みにくいのか?」を考えてからその原因を解消するというシンプルな解決法をとってみた。

 (原因)「漢字の部分と送り仮名の部分が分からないと読みにくい」
 (解決法)「漢字の部分が分かるようにブルーにする」

はしれ めろす

 分かち書きに加え、本来漢字の部分のひらかなをブルーにした見本を作ってみた。どうだろうか?
 私には、相当に読みやすく感じる。振り仮名付きの漢字かなまじり文の読みやすさとひらがな文の読みやすさがミックスされたと思うがどうだろうか。細かく見れば「ふえ を ふき」の部分「ふき」の「ふ」がオリジナルで「吹き」となっているので、ブルーにしたが、読みやすさからは、色を変えない方がよさそうだ。
 自分にとって読みやすいひらがな文が誰にとっても読みやすいとは限らないが、まず、自分が読みやすい文書を作ることが第一段階。読みにくい原因を考えてそれを解決する大きなルールを決めて

 この例では
 『漢字部分は字の色をブルー』

 一度ルール通りに書いた後、自分で読みながら細かく直していくのがよさそうだ。
 紙に手書きでは、細かく直すのは大変な作業だが、パソコンのソフト上では、数クリックでできてしまう。読みにくいひらがな文を読みやすくする書き方を自分なりに考えて作ってみよう。パソコンでは手直しが簡単なので、『原因』→『解決法』というフロー(流れ)も無しにいきなり書くのもアリだが、何らかのルールは作ってそれに従って書いていこう。

 ひらがなだけで書く意味

 さて、ここまで読んでくれる人は、少ないと思う。普通は途中で飽きる話を長々と書いている。先にことわったとおり、「漢字の勉強がキライならば、漢字について考えてみよう」というのが、このウェブページのテーマだが、漢字については書かずに、平仮名だけの日本語表記について考えてきた。ここまで読んでくれた君たちに予定していたような答え

「良い子のみんな!やっぱり漢字は大切だよネ!漢字の勉強ガンバって!」

 なんてことを猫撫で声で言うつもりはない。そんなありきたりなことは言わない。ローマ字書きの日本語の手紙を書いていたうめさおさんのエピソードを冒頭に引用しておいて、それではあまりに陳腐だ。漢字の勉強がきらいな君だって、最初から、なんとなく漢字が大切なことは気が付いてるハズだ。
 ひらがなだけで書く意味について最後に話したい。インドネシアとフィリピンから来日した外国人看護師や介護福祉士候補者にとって難解な専門用語とともに「漢字」が国家試験突破の壁になっている。国家試験の勉強に限らず日本語学習をしている外国人が最初に勉強する日本の文字はひらがなで、話す言葉と同じ表音文字(音声に相当する文字)の読み書きは比較的取得が早いが、漢字の学習は、日本語習得の高いハードルになっている。
 パソコンの「読みあげソフト」を知っているだろうか、ウェブサイトなどの文字を自動で読み上げてくれるソフトで、目の不自由な人や年を取った人などが利用する便利なソフトだ。漢字かなまじり文を読み上げる時には住所表記など読み間違いをすることもあるが、全部ひらがなの文の場合、基本的に読み間違いはおこらない。ひらがな文にも長所がある。現在でも、ひらがなだけで書くことには意味がある。
 ひらがなタイプライターとひらがな文は、日本語ワープロ誕生以前の技術的な未熟さが生んだ徒花(あだばな)と考えらがちだが再生の可能性はある。現在のパソコンとアプリケーションソフトときみの知恵を使えば、誰にとっても読みやすいひらがな文を書くことも可能だと思うが、きみはどう考えるだろうか。

ひらがな文の例
都営バス 音声読み上げソフト対応 停留所五十音「あお」の時刻表

http://tobus.jp/cgi-bin/pcsearch.cgi?act=pro03&sel=aiueo&func=timetable&mode=onsei&letter=%82%a0%82%a8

注 走れメロスの著作権について
「走れメロス」は、著作者の死後50年以上が経過しており著作権保護期間が終了しています。たとえ「走れメロス」の全文をウェブサイトに転載しても著作権法違反とはなりません。

タイプライター

 パソコン、それ以前は、ワープロが普及する前に一般的だった印字機械。基本的な構造として、ハンコをテコの原理で一文字づつ押す機械。セットしたハンコ(活字[字型])以外はプリントできない。1874年アメリカでレミントン(Philo Remington1816〜1889)が実用化。パソコンのキーボード配列(ローマ字)は、タイプライターの配列を元にしている。

梅棹忠夫
うめさお ただお
1920〜2010 昭和−平成期の民俗学者、文化人類学者。京都生まれ。著作に『文明の生態史観序説』(1957),『日本探検』(1960),『知的生産の技術』(1969)など

コピーアンドペースト

ウィンドウズの場合、マウスの左ボタンを押したまま(ドラッグ)で、範囲を指定し、右ボタンをクリックしてメニューから「コピー」を選び左クリックでコピーをして、貼り付けたいところで、右ボタンをクリックしてメニューから「貼り付け」を選び左クリックでペーストする。

Yahoo! カテゴリ掲載サイトです

旅行、観光 > 旅のノウハウ

保護者の皆様に

こどもWebmたびについてのご説明

さよなら、うめさおさん

デジタル時代の落とし穴、情報「きりすて法」…

ポケモン・スタンプラリーガイド

「JR山手線乗換・出口ガイド」のポケモン・スタンプラリー特別版

Pokemon Stamp Rally Guide

JR Yamanote Line Outer Tracks Pokemon Stamp Rally English Guide

ダ・ヴィンチの手帳

ポケットに手帳を持って旅をしよう…

ひらかなタイプライター

ひらがなだけではよみにくい?…

次号予告